花散る里の猫
26.4.26 東京都清瀬市
待ち受けて、花に会い、今年もまた花に別れます。
26.4.13 東京都清瀬市
みるひともなき山里のさくら花 ほかのちりなむのちぞ咲かまし
『伊勢集』104
と、古代の淑女伊勢[いせ:平安初期の女流:貞観14年〜天慶元年(872〜938)]は歌いました。歌の奥底の思いはともかく、視点を 桜を見ることが出来る時期が長くあってもらいたいという結論に向けるなら、同意しない人はないでしょう。
近世の国学者賀茂真淵先生[元禄10年〜明和6年(1697〜1769)]は、また
山桜ちれば咲きつぐかげ尋(と)めて おほかた春は花にくらせり
『賀茂翁歌集』
(見ていた山桜が散るとすぐ、次に咲いている花を求め探して、およそ
春という季節は桜に心をとられて暮らしていたのであった。)
と感慨を述べています。
26.4.05 東京都清瀬市
はなやかなソメイヨシノが散ったあとも、さまざまな種類によって、また場所の違いによって、時期を違えてかなりの期間を眺めることができました桜の花。
26.4.12 東京都清瀬市
大島桜 26.4.12 東京都清瀬市
鬱金 26.4.20 東京都清瀬市
鬱金 26.4.20 東京都清瀬市
四月も末になって、さすがにこのあたりでも あらゆる桜がすっかり終わりました。
真淵先生の春は終わりました。
“ イッパイサクラヲ ミタケドネ ”
御町内だけでもたくさんのお花見をしたモミヂちゃん。
チョロンの三きょうだいのひとりです。
人(?)柄が穏やかなので、受け容れられやすいのか、このあたりの街猫で
かわいがられて平穏に暮らしています。
“ ゴチョウナイハ ソロソロ フヂノハナ ダッテ ”
藤は古今集以来の伝統的分類でも、晩春、または初夏の花です。
ちなみに陰暦の暦をカレンダーに重ねてみると、この4月28日が陰暦春三月の末日、すなわち春の果てる日でした。
この日は一名「三月尽(さんぐゑつじん)」とも呼ばれ、花と春とに別れる詩歌を詠む習わしもありました。
26.4.20 東京都清瀬市
これからの季節に、世の中に花はいくらでも咲きますが、私ども日本人の習俗の伝統に拠れば、桜を見送ることで春は終わってしまうようです。
“ 詩ヤ歌デハ サクラノ オワカレハ ハルノオワカレ ”
花もみな ちりぬるやどは ゆく春のふるさととこそなりぬべらなれ
『拾遺和歌集』77 紀貫之
(桜もみな散ってしまった寂しい我が家は、旅行く春が残して行った
留守宅にでもなってしまったようだ)
ゆく春、ふるさと、といった言葉で作られたこの歌は、過ぎゆく時間を旅人と見立てて詠まれています。今は去って往くけれど、時間は循環するものと捉えられていた古代の観念のもと、ふたたびまた春の姿でここにたち帰ってくるものとして歌われているのです。
※ふるさと:旧都などの意味のほかに、外出先から
留守宅を言う場合などにも用いる。