ゆく時間の中で
23.12.30 東京都清瀬市
大震災と原子力発電所事故で歴史の教科書に永久に載るに違いない平成23年(2011)が間もなく暮れます。この先生きていてこれ以上深刻な時を経験することは、五十を過ぎた私にはもうないかも知れません。厳しく辛いことのさまざまが忘れられない年の瀬ですが、ひとつ肩の荷を下ろして楽になったことは、 長く関わっていた古典語の仕事が、この十月に『古典基礎語辞典』として出版され、今年で片付いたことでした。三年前に他界された恩師大野晋先生が、亡くなる直前まで手を入れ続けられた最後のお仕事です。
23.12.30 東京都清瀬市
辞書が刊行されたこともあり、例年より慌ただしく年の暮れになりましたが、そのひと日、12月24日に、辞書の著者仲間十三人が母校学習院大学内の目白俱楽部に集まりました。同じ辞書のための原稿を書いていても執筆は大野先生と一対一の作業でしたから、今まで筆者全員が一堂に会することはありませんでした。 こうして仕事が成って改めての顔合わせでしたが、これを最後の解散の会でもありました。
23.12.30 東京都清瀬市
この辞書は大野先生の勉強部屋からいつとなく始まったようなところがあります。仕事はおよそ三十年にわたる長丁場になり、上級生の年長の著者はもう八十に迫る年齢になりました。辞書が始まった当初大学院を出たばかりだった私も老眼鏡を使う年になりました。長くなってしまって、主筆の大野先生が亡くなられたほかに、完成したら御意見を頂きたいと思っていた恩師や先輩方の幾人かも鬼籍に入られ、今は見て頂けないことがまことに残念です。とはいえ、どんなに励んでも、励まなくても、何があってもなくても、時間は淡々と過ぎてゆくのが自然で、その中に私たち生き物の生き死にもあるのです。春の大震災以来、その道理が身に迫って感じられた今年でした。人間も、野の鳥や草木と、もちろん猫とも、何ら変わらないのだということが、むしろ清々しく気楽なことのようにも実感されます。清々しく気楽ではありますが、人の思い通りにならないことが多いことは、もともと覚悟していなければならなかったのです。
ですから、十三人の懐かしい同門の仲間がこの日に一人も欠けずに集まれたことは本当に幸いでした。そしてまた再び皆で集える時があるかどうかはわかりません。御縁があったことの幸せを思って、その日は別れました。
23.12.30 東京都清瀬市
"12月ハ 本ヨム時間 スクナカッタンジャナイ?"
ちょっと慌ただしかったね
お掃除やお正月の支度もあったしね
普段サボっているから 年末はたいへん
"ショージ張ラナイノ? 穴アイテルヨ"
穴あけたヒト誰!!
"......"
"黒豆 煮テテモ 本ヨメルヨー"
ひたち君もね
"ベンキョウモ 手伝ッテル"
目をつむってること 多いけどね
来年もまた"勉強の友"をどうぞよろしく
23.12.30 東京都清瀬市