火の花祭猫
所は東京都清瀬市中里にある浅間神社(せんげんじんじゃ)、通称富士山神社。道に面して鳥居はあるものの、気づかずに通り過ぎればただの雑木林の斜面のようですが、よく見ると、鳥居をくぐった先の急な斜面にはつづら折りの山道が刻まれています。
いつの頃からか、本物の富士山まで旅して詣でるかわりに富士山に模した小高い場所を登って拝むことが始まり、全国にそれとおぼしき「富士塚」という地名が分布しています。関東地方の富士山がよく見える地域にはこうした富士信仰が特に多かったと言います。
9月1日はその清瀬中里浅間神社の祭礼です。折しも大型の台風が日本列島に迫り、西日本から関東まで、方々の集中豪雨の被害が報道を賑わしている中、今年も火祭は行われました。みやとひたちに留守番を頼んで夜道を行って参りました。
"イッテラッシャイ"
"ゴハン マデニ ハヤク カエッテキテー"
この日は富士塚の頂上に仮の御社を設けてあります。
みな拝みに富士塚の坂道を登って行きます。
近くの広場の踊りは炭坑節が最後の曲と決まっています。
音楽が止まるのを合図のように、人は続々と富士塚の麓に移動します。
いよいよ火祭が近付きます。
夜9時、周辺の電気が消されると、登山道に沿って点された蝋燭の光の中を
白装束の富士講の人たちが下って来ます。
唱えている言葉は「南無浅間大菩薩(なむせんげんだいぼさつ)」。
下って来る人が手に持つ鈴(リン)の澄んだ音が、闇の中に響きます。
もとは熊除けなのだと言います。
下りきると、麓には約5メートルの高さに積み上げられた稲藁の山があります。
その周りを廻って、藁山の頂上に火をつけます。
はじめ小さかった火が、下方へ燃え広がるにつれて炎を大きくしてゆきます。
燃えさかっている間、富士講の人たちは火柱の周りを廻りながら
決まった文言を唱えます。
その低い声々が稲藁の焼け爆ぜる音の底に沈んで聞こえます。
観衆は黙って炎を見ています。
静かなお祭りです。
御幣を束ねたような大きな梵天を炎の上に滑らせては観衆の頭上を
祓います。
闇の中、激しく盛んな火だけが照らす光景は何とも厳かです。
そしてこの火が消えると、何と、たしかに秋の夜になっていたのでした。
富士講の連中はお祭りを務めたあと、また富士塚を登って行きます。習慣として、この時は「六根清浄」を唱えます。
火の消えた後にまた頂上に戻るのは、神様が富士山に帰還なさるのを意味しているのでしょうか。ちょうど目の前を通った白衣の富士講の御老体に尋ねてみる と、「いや、上に荷物置いてるからね、片付けにゃ」というお返事。公式見解は別にあるのかもしれませんが、お祭りを執り行っている人たちにとって、これが ただの日常の延長にあるということも、今日また貴重な感覚であると思われました。
現在清瀬の中里浅間神社の祭礼は「火の花まつり」という行事として行われています。この名称といい、継承の難しい昔の習慣を現代風にしているところはあるのでしょうが、それでもなお、古来の祭の 趣をよく残していると感じます。何より、無定見な当世風の付け足しがないのがよいと思います。
お飾り頂いて帰ってくると
"ソレ 要ル!"
"コレ ナニ?"
"チョーダイ チョーダイ"
おもちゃにするとバチがあたるよ
"ジャ ヒトマズ ゴハン 食ベヨーカ"
起きて食べなさい 下半身寝転がってるでしょ!
これだってバチアタリものです。
また一年無病息災でありますように。火祭の藁灰は火災除けのお守りだそうです。
恐ろしい災害のあった今年、もうどこにも禍が降りかかりませんように。