光の復活
25.12.24 東京都清瀬市
この12月22日が、二十四節気でいう「冬至(とうじ)」でした。この日が至り、過ぎて、北半球に一年で一番光の少ない時期は過ぎました。
25.12.25 東京都清瀬市
この最も光のない時期に、現在も皇室の私的行事として継承されている「新嘗祭(にいなめのまつり)」は行われて来ました。今でこそ知る人ぞ知るのひっそりした神事ですが、古典で年中行事の習慣をちょっとでも覗いて見れば、かつてはこれが一年で一番盛大な祭事だったことは明白です(冬至猫)。
断片的にしかわからない行事のあれこれを挙げて行っても、古代の天皇にとって、これがおそらく一年で最も重大な責務を負ったお祭りごとであったことが窺われます。
原始、私たちの祖先はこの年の内で一番暗い時期に、太陽の復活を祈ったのだろうと、この祭祀の起源を考察する学者がいます。納得しやすい意見ではないでしょうか。
私たちの国柄は、たとえばこんなところにも顕れています。武力で人を制圧する者ではなく、光の復活を祈るシャーマンを、集団の最高の権威として戴いて来たのです。
25.12.24 東京都清瀬市
さて、この冬至の日付をカレンダーで確かめると、だいたい12月22日あたりになります(二十四節気は現行暦と同じく太陽の公転周期に基づく体系なので、だいたい毎年同じ日付に同じ節気は訪れます)。巷(ちまた)はクリスマスを控えて、その活気が最高潮になる頃です。そこで、ふと思いついて調べて見ると、やはりこの時期、キリスト教の習慣が始まる以前からゲルマン民族にはユールと呼ばれたお祭りがあり、キリスト教の伝来以後それと混交して今日のクリスマスの祝祭になったことがわかりました。北欧諸国の中には現在でもクリスマスをユールと呼ぶ地域があるそうです。
ゴイサギ 25.12.22 東京都清瀬市
北半球に住む者にとって、ことに緯度の高い寒い地域に住む者にとって、冬の陽光は命に直接注がれる恩沢です。必要なものが乏しければ恵まれるように祈るのは、どの民族にも自然な心の動きなのでしょう。
“ コンニチハ ”
こんにちは 急に寒くなったね
茶トラの猫さんは、大らかで面倒見の良いタイプが多いような気がします。
もう昔のことですが、仙人の書斎に遊びに通って来ていた茶トラ君は、
大柄な雄猫でしたが、余所からさまよって来た仔猫を甲斐甲斐しく育てていました。
“ アッタカイトコロデ ケヅクロイスルンダヨ”
日向(ひなた)がいいね
日ハ君臨シ カヾヤキノ
太陽系ハ マヒルナリ
ケハシキ旅ノナカニシテ
ワレラヒカリノミチヲフム
宮澤賢治が作った「農学校歌」の一部です。岩手県花巻の稗貫農学校(後の花巻農学校。現花巻農業高校)の教諭であった時にその学校のために作られました。
文学者であると同時に東北の農業の科学的指導者であり、実際に農学校の教諭でもあった宮澤賢治には、高い理想と信念とを若い人々に向けて、東北の風土に歌った詩歌が数々あります。
23.12.10 東京都清瀬市
「マヒルナリ」と歌われるこの光は、宮澤賢治の厳しい詩の世界の、しかも「太陽系の真昼」です。灼熱の太陽に汗が止まらない、あの夏のギラギラした真昼を思い浮かべる場面ではもともとないのですが、私はむしろはっきりと、毎年この冬至の頃、寒さの中で仰ぐ澄んだ日の光にこの歌を思い出します。
25.12.23 東京都清瀬市
“ 日ハ君臨シ カガヤキハ 白金ノ雨 ソソギタリ”
みやもこの歌すきなのね
“ コノヒト ネコトモ オハナシスルヒト”
そうなの?
“ ゴチョーナイノ Mサンハネー
ネコミルト イツモ「こら!!」ッテ オコルンダッテー”
ええ? “ チョロン ガネー イッテタ ”
チョロンが 変な声で鳴くからでしょ
“ ソレダケジャナイト オモウヨー ”
(そうね)
ソト派の坊ちゃん ご意見ありますか
“ ベー ”
25.12.24 東京都清瀬市
柿の実もおおかた終わりました。
種類が違うのでしょうか、たまたま小さな実で、かわいらしく丸い形の実が、
たくさん残ってきれいな木がありました。
森の小鳥にもクリスマスの贈り物のようです。