夏の散歩猫
25.8.12 東京都清瀬市
久しぶりに仙人のお供で散歩をしました。
仙人には普通のコースですが、私がこの長さ全部に同行するのは季節に一二度あるかないか。
25.8.16 東京都清瀬市
25.8.19 東京都清瀬市
時はみんみん蝉の全盛期。
賑やかですが、木立の中にこだまするような響きが涼やかにも聞こえます。
時雨と言うのですものね。
蝉時雨の森の木陰にはチャー君が
“ オハヨ ”
おはよう
朝露が急速に暖められてゆくのがわかる 湿った草の中でポオッとしています。
え?
もうねむいの?
“ アサゴハン スンダシ タイクツ ”
朝のうちに遊んだら 暑くなる前に
“ ソウダネ ”
今日は遠くまで行くから またね
“ マタネ ”
25.8.11 東京都清瀬市
みんみん蝉のわかりやすい鳴き声に時々つくつく法師の声も混じります。
25.8.20 東京都清瀬市
蝉の合唱に浸って歩きながら、行く先は「蜻蛉の聖地」。
さまざまな種類の蜻蛉に必ず会える場所です。
のしめ蜻蛉 25.8.20 東京都清瀬市
リスあかね 25.8.12 東京都清瀬市
たしかにいろいろな蜻蛉が見えます。
歩きながら散歩仙人に蜻蛉の見分け方を教えて貰います。
こうなっていればナツアカネ、こうなっていればアキアカネ。
羽の柄や体の色だけではなく、体の側面に見える模様が決め手になったりします。
雌雄の違いもあります。
アキアカネ 25.8.12 東京都清瀬市
赤い蜻蛉も一種類だけではないことは想像が付いていましたが、
ともかくみな♂だということは、知らない人も多いことでしょう。
野生の動物によく見る事実ですが、♂は花やかに人目を引き
♀は概して地味なのです。
羽黒蜻蛉 25.8.26 東京都清瀬市
「また、なにかヒラヒラしたのが来ました」
ヒラヒラ?
「あ、足もとに別のが来ました、ビラビラしてます」
ビラビラ?
「また違うのが来ました、今度はバサバサしたヤツです」
それじゃわからん。
(私はもちろんわかりません)
小のしめ蜻蛉 25.8.19 東京都清瀬市
「あ、この模様でこの感じは小ノシメ蜻蛉ですね」
などと推測すると、先生は
いや、側面を確かめないと分からない。
蓋然性というものはあって、この場所で見られる蜻蛉の種類を確定するのに、
ありそうなものを取り集め、その中で知っている条件を引き当ててこれだろうな
と見当をつけるのが世の中の普通の人。
大体見当通りに合っていたりします。
蓋然性を考えていないわけではないけれど、ともかく対象を観察して、条件と
いちいちを厳密に突き合わせて吟味してはじめて納得するのが学者、なのだろう
なと思い当たります。
結論がたまたま同じになっても、結論までの課程の価値がまったく違います。
25.8.20 東京都清瀬市
蜻蛉の種類について、仙人の詳密なしかし分かりやすい説明を聴きながら、
ふと思い出しました。
最近読んだもので面白かったものに岡本かの子の「良人(おっと)教育十四種」という文章があります。「良人教育」などというとちょっと高慢ないやな感じが致しますが、内容はたとえばこんなです。
(一)気むづかしい夫
何が気に入らないのか、黙りこくってむっつりしている。訊いてもいっては呉れ
ないで、渋い顔をするばかり。
従って家内中で腫ものにでも触るような態度を取り、そばを歩くに、足音さえも
窃(ぬす)むようになる。
こういう性質は神経衰弱その他生理的な病気が伏在している為めに来ることもあ
れば、当人の我儘から来ることもある。
病気なれば気の毒、早速医者の手にかかるがいいが、もし我儘だったらあんまり
卑屈にへいへいしていると、却って増長させていけない。正しいことは相当主張し、
快闊に、はたからその不機嫌を吹き散らしてしまうがいい。不機嫌は当人も持てあ
ましているのだから、はたからのひょっとした誘いで気が取直せ、当人も助かるこ
とがある。
(二)短気な夫
しじゅうイライラしてちょっとのことにカンシャクを起す。
この性質に二つある。外では猫のようにおとなしく言うべきことも胸に畳み、
そのシコリを家へ持越して爆発させるものと、もう一つはどこでも短気でカンシャ
クを起すのとである。
前の方のは臆病で気の毒な性質の人ゆえ、まあまあ我慢して家でカンシャクを
起さしてやるのが愛だが、後のは持前の性質ゆえ修養とか信仰とかを勧めて、根本
的に直すのが愛である。
一たい短気な人は速力(スピード)が気に入るのだから何でも手っ取り早く先手
を打って、先に望むことをしてやれば悦ぶものだ。
こんなことが十四種類に分類された良人ごとに述べられています。
すぐに気づくことは、これは良人を上手くあしらうための功利的な操縦術などでは全くないということです。
あくまで良人本人のためによかれと気遣う愛情が根底にあります。その上でそれぞれの気質に合った妻としての付き合い方を助言するもので、そこには寄り添って生きようとする努力の姿勢があります。
いかにも芸術家肌で、あの“爆発だ!”の岡本太郎氏を溺愛した生母とあれば、いやが上にも強烈に奔放なイメージが先行しますが、奥行きのある、十分な優しみのある人だと感じました。
ちなみに、その十四タイプの中にはこういうタイプがございます。
(七)学者肌の夫
学者は日常他人に教示する癖をもって暮す。その気持ちのリズムに添うて、暮さ
なければ夫の心情を荒らす。妻も大方のことは生徒になりたる態度をもって、夫に
対侍すべし。
付き合うのに困難は少ない方ではないでしょうか。
みやはどう思いますか。
“ ベツニ ドウデモ ”