2011年8月26日

夏の終わり

    
0826ヒマワリup2836.jpg                                         23.8.26 東京都清瀬市

  南海に来ている台風の影響で湿度の高い曇り空。
  午後には驟雨があるらしいとのことです。
  忘れないようなタイミングで地震も来る、暑さだけではなく過ごしにくい夏でしたね。

  
  
0826ヒマワリ2953.jpg
  
0826ヒマワリ2824.jpg                                  上二枚とも  23.8.26 東京都清瀬市

     清瀬ひまわりフェスティバル(※)はまだ開催中ですが、
     激しい雨に折々見舞われて、うな垂れた顔をなかなか起こす
     ことのできない花たちです。

  ※清瀬ひまわりフェスティバル 
     場所:東京都清瀬市下清戸3丁目
       (西武池袋線清瀬駅北口から路線バスで「下宿入り口」下車)
     会期:8月29日〜8月31日
                  清瀬市農ある風景を守る会主催



  庭では蝉が賑やかで、気温は今日も30度を超えていますが、日中に熱いコーヒーが美味しいと思う。夏の盛りは過ぎました。

  たしかに、この8月23日は二十四節気でいう「処暑(しょしょ)」。『暦便覧』に「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」、暑さが後退し始める頃とあります。

  
5歳0039.jpg      何してるの?

 
5歳0042.jpg              "寝ヨウカ アソボウカ カンガエテルノ"

     こんなところで?
  
5歳0043.jpg
              "...寝ヨカ"

     お  さ  し  み

  
5歳0038.jpg             "タベル!"

  バッチリ覚醒です。

  猫との付き合いに「言葉」がどれほど有効な手段になっているのかはわかりません。以前にお話ししたように、多分「言葉」は補助的な役割に過ぎないだろうとは思っているのですが、いくつかの単語ははっきり聞き分けているようです。

  みやの場合は「おさしみ」は間違いなく理解している単語で、冷蔵庫から出す時に姿が見えなくても、
「みやちゃん おさしみ 食べる?」
と呼んでみると、
「ワンワンワンワン(タベル タベル)」
と忙しく答えながら大急ぎでやって来ます。

  俎板で切っている私の足に、顔をスリスリしながら落ち着きなく待っていて、後から必ず来るひたちの分と二皿にしてゴハンの場所に運ばれるのを、走って付いてきます。

  それでいて、すぐには食べない。冷蔵庫から出したての冷えたものは苦手なのでしょう。間違いなく「おさしみ」があることを確認すると気が済むようです。
  室温に戻るころ、いそいそ来て食べています。

   
ひた0062.jpg          "ユックリ  行クケド  シッカリ タベルヨ"

  ひたちははじめから、冷えた「おさしみ」に駆けつけてもしようがないと思っているのかも知れません。

  "生きる力"には結構長けたひたち君のことです。


   
0820つめ草2683.jpg                                  アカツメクサ 23.8.20 東京都清瀬市
   
  19日でみやは5歳になりました。

  旧のお盆が過ぎ、フヨウの花がけだるく咲いて、ヒマワリの大きな首がうな垂れ、やさしくなった蝉時雨にツクツクボウシの声が混じるようになり、夏の喧噪の終わりを感じる、そんな季節柄でしょうか、みやのお誕生日は毎年何となくしめやかにやって来るような気がします。

   
00821尽く尽く2746-1.jpg                                 ツクツクボウシ 23.8.21 東京都清瀬市

  今年もマグロのお刺身でお祝いしましたが、なにぶん暑い夏だったので、手抜きの夕食にお刺身が登場しすぎたので、特別な感じにもなりませんでした。

   
0809みや1257.jpg
  元気に5歳になってくれて喜んでいます。

  獣医さんの待合室にある年齢対応表(参考程度とのことですが)によると、みやの5歳は人間の36歳[12×1年+6×(5ー1)年]くらいらしい。落ち着きが出てきてもよい年ごろではありますね。

  あい変わらず活発で、いつの間にか付いたすりむき傷が今日も鼻にあります。それだけでなく右腕の内側に毛のはげた所があるのはどこかから落ちたのかも。血の出るような傷ではありませんが、気になって、毛のないサラサラした白い肌に触ってみました。痛がる様子はありませんでしたが、私が関心を持っていることが分かるらしく、"サワンナイデネ"と言われました。

    
0809みや1271.jpg
  処暑を過ぎて、8月の末のこの頃が寂しいのは、子どもの頃に夏休みの終わりを惜しんでいた気持ちの名残なのかと思っていた時期がありました。夏休みがただ楽しかった子ども時代がはるか遠くなった今もやはり寂しいのは、盛んな夏の衰退そのものが心にしみているのでしょう。うんざりするほど暑く、過ごしにくい、厳しい夏でありましたが。

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