野遊び猫
緑が濃くなってゆく季節です。
構わない我が家の庭は武蔵野の野原と変わりません。
グレコちゃんがひときわ野性的に見えます。
“ キョウ ハ アツイネ ”
晴れた日はもう夏の日射しに近づいて来ました。
梅雨に入るか入らないかのこの時期、古代では野遊びの季節でした。
長い雨期になってからではなかなかできなくなる屋外の行楽ですが、野遊びの本来の目的は薬狩(くすりがり)でした。
桑に椋鳥 25.5.18 東京都清瀬市
古代は薬草を乾燥させたものを薬玉(くすだま)にして保存し、必要に応じてそれを使いました。その常備薬を新しいものに取り替えるのが、初夏のこの時期の仕事であったようです。
『万葉集』にある人気の高い額田王(ぬかだのおおきみ)の歌、
あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き
野守は見ずや 君が袖振る
というのも、初夏の野遊びの場面を詠んだものです。
この紫野とは紫草を栽培していた野原です。紫(ムラサキ)は紫根(しこん)という名で今日でも漢方に用いられている薬草です。また古くから染料としても貴重な植物でした。そこで、『万葉集』の古代から朝廷が紫野を直轄し、そこには濫(みだ)りに人が立ち入ることもできなかったのです。「標野」というのはそういう場所です。この「標(しめ)」という言葉の意味は、現代では神社などに見る「標縄(しめなわ)」の「しめ」がそれです。
勿忘草 25.5.21 東京都清瀬市
『日本書紀』天智天皇七年(668)五月五日の条にこの時の野遊びの記事があります。古くは陰暦五月五日の行事であったとされますが、もちろん天候次第だったのでしょう。同じ野で鹿狩りが行われたのも、鹿の袋角が薬として使われていたことによります。
25.5.3 東京都清瀬市
その陰暦五月五日とは何時(いつ)の頃かと言えば、今年のカレンダーに重ねると6月の13日がその日です。入梅は6月11日ですから、陰暦五月五日という頃は場合によってはもう梅雨に入っている年もあるでしょうね。
今年も梅雨の入りが例年になく早かったので、陰暦にしてまだ四月のうちに五月雨(さみだれ)のお天気になってしまいました。
さて、鹿狩りなどはない今日の武蔵野の野原には、
スズメがかくれんぼしていたり
“ ミツカッタ?”
ヒバリや
“ シーッ ナイショダヨ ”
コチドリや
“ ”
カラスが遊んでいて
カア “ Y.ミミチャン ニガテダ アイツ キタラ テッシュウ ”
“ 呼ンダ?”
夏の野の花が綺麗です。
25.5.21 東京都清瀬市
25.5.21 東京都清瀬市
25.5.25 東京都清瀬市
颯爽と行くシマオ君が 草原の虎のようにみえる 緑の勢い
“ オサンポニ キマシタ ”
晴れてさえいれば野原の楽しい季節です。
25.5.21 東京都瑞穂市
25.5.25 東京都清瀬市
こんなに早く梅雨に入ってしまいましたが、長い梅雨になるのでしょうか。
“ アメフリ ナガイノ ヤダナー ”
“ ネムイ ”
雨は作物に要りようで、降らなければ降らないで困ります。我が国がはっきりと農業国であったひと昔前にはてるてる坊主の逆を頼む「雨降り坊主」の歌までありました。
穏やかな梅雨でありますことを祈っています。