百七十三年ぶりの夏の朝
24.5.20 東京都清瀬市
どうもお天気が落ち着かない五月ですが、仙人はようやく風邪も治って、散歩習慣が復活しました。桐や栴檀の花が咲き、野原にはクローバー。いつの間にか緑はすっかり濃くなってまいりましたね。
桑の実 24.5.20 東京都清瀬市
桐の花 24.5.20 東京都清瀬市
顔見知りになっていた散歩猫や、あちらの林、こちらの川沿い、其処此処(そこここ)と決まった場所で出会っていた野鳥たちは、半月あまりの御無沙汰で、覚えていてくれたでしょうか。
24.5.20 東京都清瀬市
これまで見かけなかった仔猫に会いました。
まだ二ヶ月は過ぎていないと思われる仔猫です。
こんにちは
"コンチニハ"
親猫と思われる、顔つきの似た大猫さんと一緒にいます。
どうやら お父さんのようです。
少し離れてこちらを用心深く観察しているのがお母さんのような感じです。
大人(猫)と一緒にいて、まだこわい目にあったことがないのかもしれません。
警戒する様子もありません。
仔猫はキョトンとこちらを見続けています。
あれ?
さっきお返事をしたあと 舌をしまいわすれているようです。
猫って、時々こういうことがありますね。
自分では気がつかないのかな。
24.5.20 東京都清瀬市
仙人の散歩は三週間ぶりでしたが、話題の金環日食、5月21日のは、東京で見られるのは実に百七十三年振りということです。
この前に東京(当時の江戸)に金環食の太陽が出現したのは天保十年(1839)八月一日と記録があります。
24.5.7 東京都清瀬市
天保の頃というと、滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』を書いたちょっと後。小林一茶や『源氏物語』のパロディを書いた柳亭種彦はこの頃の人でした。良寛や頼山陽が亡くなったのが天保年間でした。
24.5.20 東京都清瀬市
天保三年から数年間にわたっては大飢饉でした。飢餓は全国に及び、各地で餓死者が出て、特に大阪では一時期毎日二百人規模の死者が出たと言います。その時期に、非常に貧しい藩でありながら、一人の餓死者も出さなかったと伝わる地域に三河国(現愛知県東部)田原藩があります。
時の田原藩の家老が渡辺崋山。藩主に上申した対応策「凶荒心得書」の内容は、家中の徹底した節約や役人の綱紀粛正など為政者側の心得、そして民衆を最優先とした救済制度や施設の整備でした。優れた対応法が確かに成果を挙げたのです。
その渡辺崋山は、金環日食の天保十年、幕府の政策に批判的であると疑われ、冤罪で投獄されます。事件の内実は幕府による蘭学者弾圧、いわゆる「蛮社の獄」です。崋山自身は蘭学者ではありませんでしたが、西洋に新しい知識を求めるグループの思想的なリーダーと見なされていました。飢饉で弱った社会は大阪に大塩平八郎の乱を起こすなど、各地に秩序のほころびを見せ、警戒の過ぎた幕府は過剰な思想弾圧に及びました。不穏な世にあった天保の人は、この日食をやはり幾分禍々(まがまが)しいものに見たのではなかったでしょうか。
" ナニシテルノ?"
これは虫眼鏡
歴史的大災害であった東日本大震災の跡にはまだ問題山積です。原子力発電所事故の件は未だ解決されておりません。結局関係があるのか無いのかわからない電気料金の大幅値上げだけは早々に実現しそうです。
日蝕の奇妙に暗いうす寒い朝の光の中で、そんな事が心に浮かび、次の金環食の時この国はどうなっているのかなと思いました。
"「都」ジャナクテ「国」デショー..."
" ナニカ 心配 シテルノ? ミヤチャン ガ アソンデ アゲル "