2013年12月28日

墨場必携:近代詩 農学校歌 宮澤賢治


    
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農学校歌         宮澤賢治


  日ハ君臨シ カガヤキハ
  白金ノ雨 ソソギタリ
  ワレラハ黒キ土ニ俯(ふ)シ
  マコトノ草ノ タネマケリ

  日ハ君臨シ 穹窿ニ
  ミナギリ亙(わた)ス 青ビカリ
  光ノ汗ヲ感ズレバ
  気圏ノキハミ クマモナシ

  日ハ君臨シ 玻璃(はり)ノマド
  清澄ニシテ寂(しづ)カナリ
  サアレヤ ミチヲ索(もと)メテハ
  白堊ノ霧モ アビヌベシ

  日ハ君臨シ カヾヤキノ
  太陽系ハ マヒルナリ
  ケハシキ旅ノナカニシテ
  ワレラヒカリノミチヲフム

           「新修宮沢賢治全集 第六巻」筑摩書房

    
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  1921年11月、宮澤賢治は岩手県花巻の稗貫農学校(1923年に花巻農学校と改名。現在の花巻農業高等学校の前身)の教諭に就任した。その翌年2月に作った詩。

  当時の校長から校歌にすることを再三懇請されたが、そのつもりで作ったのではなかったという理由で賢治は固辞し続けた。その結果校歌にはならなかったものの、「農学校精神歌」と称せられ、愛されて生徒に、職員に、事あるごとに歌われたという。

  同じ年の11月、賢治の二歳年下の妹トシが逝去する。24歳。結核であった。賢治の最大の理解者であり、愛情の対象であり、信仰の同志でもあったというこの妹の存在は、賢治研究の一つの核になるであろう。「永訣の朝」に代表される、この死に際した慟哭の数々は身に迫って痛ましいが、賢治の詩の精髄を窺わせる名品群でもある。それらが生まれる、そのわずか前の太陽讃歌である。

    
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