2010年11月16日

墨場必携:訳詩・近現代詩 林檎



31野菊2.jpg                                         22.10.31 東京都清瀬市

  「初恋」  島崎藤村

    まだあげ初[そ]めし前髪[まへがみ]の
    林檎[りんご]のもとに見えしとき
    前にさしたる花櫛[はなぐし]の
    花ある君と思ひけり

    やさしく白き手をのべて
    林檎をわれにあたへしは
    薄紅[うすくれなゐ]の秋の実[み]に
    人こひ初めしはじめなり

    わがこゝろなきためいきの
    その髪の毛にかゝるとき
    たのしき恋の盃[さかづき]を
    君が情[なさけ]に酌みしかな

    林檎畑の樹[こ]の下に
    おのづからなる細道は
    誰[た]が踏みそめしかたみぞと
    問ひたまふこそこひしけれ



      
3リンゴ5.jpg                                         22.11.3 長野県佐久市

  「斷章六十一」その五  北原白秋(「思ひ出」所収)


   暮れてゆく雨の日の何となきものせはしさに
   落したる、さは紅き実[み]の林檎、ああその林檎、
   見も取らず、冷かに行き過ぎし人のうしろに、
   灰色の路長きぬかるみに、あはれ濡れつつ
   ただひとつまろびたる、燃えのこる夢のごとくに。

      
4尾長.jpg                                         22.11.4 東京都清瀬市


  「あかき林檎」 北原白秋(「思ひ出」所収)
 

    いと紅き林檎の實をば
    明日[あす]こそはあたへむといふ。
    さはあれど、女の友は
    何時[いつ]もそを持ちてなかりき。
    いと紅き林檎の實をば
    明日こそはあたへむといふ。

      
3リンゴ6.jpg                                         22.11.3 長野県佐久市


   「白き響」  八木重吉(「秋の瞳」所収)

    さく、と 食へば
    さく、と くはるる この 林檎の 白き肉
    なにゆゑの このあはただしさぞ
    そそくさとくひければ
    わが 鼻先きに ぬれし汁[つゆ]

    ああ、りんごの 白きにくにただよふ
    まさびしく 白きひびき

      
10鷺1.jpg                                         22.11.10 東京都清瀬市


   「放歌」  中島敦「和歌でない歌」より

   わが歌は
     拙なかれどもわれの歌他[こと]びとならぬこのわれの歌
   我が歌は
     をかしき歌ぞ人麿も憶良もいまだ得詠まぬ歌ぞ
   我が歌は
     短册に書く歌ならず街を往[ゆ]きつゝメモに書く歌
   わが歌は
     腹の醜物[しこもの]朝泄[ま]ると厠[かはや]の窓の下に詠む歌
   わが歌は
      吾が遠つ祖[おや]サモスなるエピクロス師にたてまつる歌
   わが歌は
      天呼べども起きぬてふ長安の酒徒に示さむ歌ぞ
   わが歌は
     夕餐[ゆふげ]の後にして林檎食[を]しつゝよみにける歌
   わが歌は
     朝[あした]の瓦斯[ガス]にモカとジヤヴアのコーヒー煮つゝ
                             よみにける歌
   わが歌は
     アダリンきかずいねられぬ小夜更床[さよふけどこ]によみにける歌
   わが歌は
     呼吸[いき]迫りきて起きいでし曉[あけ]の光に書きにける歌
   わが歌は
     麻痺劑強みヅキ/\と痛む頭に浮かびける歌
   わが歌は
     わが胸の邊[へ]の喘鳴[ぜんめい]をわれと聞きつゝよみにける歌


      
鷺あいう.jpg                                         22.11.10 東京都清瀬市

      
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