墨場必携:散文 蝉 向日葵
このたびはさまざまな蝉の声を集めてみました。
最長の分量で御紹介した例は『吾輩は猫である』。"吾輩"の語る蝉談です。長年猫家族と付き合っておりますと、猫族にとって蝉取りは本当に我を忘れる楽しさなのだと知りますが、漱石先生もそのように御覧になっていたことを確信いたしました。
22.7.30 東京都清瀬市
鈴を振るような蝉の声がにぶい耳にもこころよく聞こえた。
岡本綺堂『玉藻の前』
空は紺碧[こんぺき]に晴れ渡つてゐる。どこかで山蝉が鳴きはじめた。
加藤道夫『なよたけ』
22.8.1 東京都清瀬市
風はよく吹き通すのであるが、晴れた空が西日になるころには蝉の声など
からも苦しい熱が撒かれる気がするほど暑気が堪へがたくなった。
紫式部『源氏物語』常夏
与謝野晶子訳
まさしく瑠璃の、群青の深潭を擁して、赤褐色の奇巌の群々がくわつと反射
したところで、しんしんと沁み入る蝉の声がする。
北原白秋『日本ライン』富士ガ瀬
あけの日は、東が白みかけると、あちらでもこちらでも蝉が鳴き立てた。昨日
の暑さで、一晩のうちに生れたのだらう、と話しあうた。
折口信夫『身毒丸』
やがて夕方になりました。松蝉[まつぜみ]は鳴きやみました。村からは白い
夕もやがひっそりと流れだして、野の上にひろがっていきました。
新美南吉『花の木村と盗人たち』
22.8.1 東京都清瀬市
滝かと思ふ蝉時雨[せみしぐれ]。光る雨、輝く木[こ]の葉、此の炎天の
下蔭は、恰[あたか]も稲妻に籠る穴に似て、もの凄いまで寂寞[ひっそり]した。
泉鏡花『伯爵の釵』
とうとう真夏になつた。それは平地でよりも、もつと猛烈な位であつた。裏の
雑木林では、何かが燃え出しでもしたかのやうに、蝉がひねもす啼き止まなかつた。
堀辰雄『風立ちぬ』
光を含んだ綿雲が、軒端に見える空いつぱいに輝いて、庭木といふ庭木は葉先
ひとつ動かさず、それぞれに雲の光を宿して濡れた樣に靜まつてゐる。蝉の聲は
その中のあらゆる幹から枝から起つてゐる樣に群り湧いて、永い間私の耳を刺し
て居た。
横光利一『樹木とその葉』
ことに芸術家で己の無い芸術家は蝉の脱殻同然で、ほとんど役に立たない。自分に
気の乗つた作ができなくてただ人に迎へられたい一心でやる仕事には自己といふ精神
が籠るはずがない。すべてが借り物になつて魂の宿る余地がなくなるばかりです。
夏目漱石『道楽と職業』
22.8.1 東京都清瀬市
昭和といふ年も數へて早くも十八年になつた今日、東京の生活からむかしのまゝ
なる懷しい音響を、われわれの耳に傳へてくれるものは、かのオシイツクツクと
蟋蟀の鳴く聲ばかりであらう。蝉も蟋蟀も、事によつては雁や時鳥と同じやうに、
やがて遠からず前の世の形見になつてしまふのかも知れない。
永井荷風『虫の声』
夏の短夜が間もなく明けると、もう荷車が通りはじめる。ごろごろがたがた絶
え間がない。九時十時となると、蝉が往来から見える高い梢で鳴きだす、だん
だん暑くなる。砂埃[すなぼこり]が馬の蹄[ひづめ]、車の轍[わだち]に煽
られて虚空に舞い上がる。蝿の群が往来を横ぎって家から家、馬から馬へ飛んで
あるく。
それでも十二時のどんがかすかに聞こえて、どことなく都の空のかなたで汽笛
の響がする。
国木田独歩『武蔵野』
※『武蔵野』末尾の部分。
22.8.1 東京都清瀬市
ぼくらは、蝉が雨のやうに鳴いてゐるいつもの松林を通って、それから、祭の
ときの瓦斯[ガス]のやうな匂のむつとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつも
のさいかち淵に行つた。今日なら、もうほんたうに立派な雲の峰が、東でむくむく
盛りあがり、みみづくの頭の形をした鳥ヶ森[てうがもり]も、ぎらぎら青く光つ
て見えた。
宮沢賢治『さいかち淵』
私は夏郷里に帰つて、煮え付くやうな蝉の声の中に凝[じっ]と坐つてゐる
と、変に悲しい心持になる事がしばしばあつた。私の哀愁はいつもこの虫の烈
しい音[ね]と共に、心の底に沁み込むやうに感ぜられた。私はそんな時には
いつも動かずに、一人で一人を見詰めてゐた。
夏目漱石『こころ』
22.7.30 東京都清瀬市
向日葵(ひまわり)が日の光の方に延びて成長してゆくように、神様の
めぐみの導きの方へむかってお進みなさい。私はあなたの愛をもみ消そうと
はもはやいたしません。それはあなたのものです。そのなかにあなたが尊い
いのちを感じなさいますならば、それはあなたの宝です。
倉田百三『愛と認識との出発』
向日葵[ひまはり]、向日葵、百日紅[ひやくじつこう]の昨日[きのふ]も
今日[けふ]も、暑さは蟻の数を算[かぞ]へて、麻野[あさの]、萱原[かや
はら]、青薄[あをすゝき]、刈萱[かるか])の芽に秋の近きにも、草いきれ
尚ほ曇るまで、立ち蔽[おほ]ふ旱雲[ひでりぐも]恐しく、一里塚に鬼はあら
ずや、並木の小笠[をがさ]如何[いか]ならむ。
泉鏡花『月令十二態』より八月
縁先の萩が長く延びて、柔かそうな葉の面[おもて]に朝露が水晶の玉を綴
つてゐる。石榴[ざくろ]の花と百日紅[ひやくじつこう]とは燃えるやうな
強い色彩を午後[ひるすぎ]の炎天に輝かし、眠むそうな薄色の合歓[ねむ]の
花はぼやけた紅の刷毛[はけ]をば植込みの蔭なる夕方の微風[そよかぜ]にゆ
すぶつてゐる。単調な蝉の歌。とぎれとぎれの風鈴の音----自分はまだ何処へも
行かうといふ心持にはならずにゐる。
永井荷風『夏の町』
単に蝉と云つたところが同じ物ばかりではない。人間にも油野郎、みんみん
野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつく
つくがある。油蝉はしつこくて行かん。みんみんは横風[おうふう]で困る。
ただ取つて面白いのはおしいつくつくである。これは夏の末にならないと出て
来ない。八つ口の綻びから秋風が断わりなしに膚を撫でてはつくしよ風邪を
引いたと云ふ頃、熾[さかん]に尾を掉[ふ]り立ててなく。善く鳴く奴で、
吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思はれるくらゐ
だ。秋の初はこいつを取る。これを称して蝉取り運動と云ふ。...中略...
これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くの
か、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によつては蝉の研究上少なから
ざる関係があると思ふ。人間の猫に優るところはこんなところに存するので、
人間の自誇る点もまたかやうな点にあるのだから、今即答が出来ないならよく
考へておいたらよからう。
夏目漱石『吾輩は猫である』
22.8.1 東京都清瀬市
蝉が木の間で鳴いていた。蛙が水のほとりに鳴いていた。そして夜には、銀の
波をなした月光の下に、無限の静寂があった。
ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』
豊島与志雄訳
【文例】 訳詩・近現代詩