墨場必携:散文
※このページの例文中の( )は読み方を示すものとして、原文が歴史的仮名遣いの作品の場合も現代仮名遣いで表記してあります。
エナガ 22.6.5 東京都清瀬市
鳥は
ほととぎすはなほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顏にも聞こえ
たるに、卯の花、花橘などにやどりをして、はたかくれたるも、ねたげなる
心ばへなり。五月雨のみじかき夜に寢ざめをして、いかで人よりさきに聞か
むとまたれて、夜ふかくうち出でたる聲の、らうらうじく愛敬づきたる、い
みじう心あくがれ、せんかたなし。
「清少納言枕草子」41段
時節は五月雨(さみだれ)のまだ思切(おもいきり※)悪く昨夕(ゆうべ)
より小止(おやみ)なく降りて、欞子(れんじ)の下(もと)に四足踏伸ばし
たる猫 懶(ものう)くして起(た)たんともせず。
森鴎外「そめちがへ」
ひたち君 落ちないで!
雨のふり方だけでも実にいろいろさまざまの降り方があって、それを区別す
る名称がそれに応じて分化している点でも日本はおそらく世界じゅう随一では
ないかと思う。試みに「春雨」「五月雨(さみだれ)」「しぐれ」の適切な訳
語を外国語に求めるとしたら相応な困惑を経験するであろうと思われる。「花
曇り」「かすみ」「稲妻」などでも、それと寸分違わぬ現象が日本以外のいず
れの国に見られるかも疑問である。たとえばドイツの「ウェッターロイヒテン」
は稲妻と物理的にはほとんど同じ現象であってもそれは決して稲田の闇を走ら
ない。
寺田寅彦「日本人の自然観」
聞えるのは雨の音ばかりだ。ぢや早速眼をつぶつて、雨の事でも考へるとし
よう。春雨、五月雨、夕立、秋雨、......秋雨と云ふ言葉があるかしら? 秋の
雨、冬の雨、雨だり、雨漏り、雨傘、雨乞ひ、雨竜(あまりょう)、雨蛙、雨
革(あまがわ)、雨宿り、...。
芥川龍之介「好色」
22.6.12 東京都東村山市
五月雨の降りつづく頃になると、森羅萬象が緑色に見えることがある。私の
記憶の風景もちやうどそんな風でした。カリンの木下闇(このしたやみ)は緑
が降るやうにこめて、梢がくれに見える太陽も緑色であつた。ただカリンの花
だけが、ほんのり紅を含んで咲いてゐました。
それは何處であつたか、何日であつたか、そして茂みのおくの中二階のやう
な窓から顏を出した人が誰であつたか、私は覺えない。男だつたか女だつたか、
眉を青く剃落した人だつた。男なら旅藝人の女形であつたらう。七つの時、四
國遍路に出た時の記憶ではなかつたかとおもふ。
たそがれなりき かなしさを
そでにおさへてたちよれば
カリンの花のほろほろと
髮にこぼれて にほひけり。
たそがれなりき 路をきく
まだうらわかき 旅人の
眉のほくろの なつかしく
後姿の泣かれけり。
竹久夢二「カリンの花」
21.6.30 東京都東村山市
春が逝って初夏が来た。花菖蒲の咲く頃になった。庄内川には鮎が群れ、
郊外の早苗田(わさだ)では乙女達が、挿秧(そうおう)の業(わざ)に
いそしむようになった。
間もなく五月雨の季節となった。
※挿秧の業:田植えのこと。
「天守閣の音」国枝史郎
デンデンムシノ カナシミ 新美南吉
イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。
アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。
「ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ
カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」
コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。
デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキ
マシタ。
「ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン」
ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。
「ナンデスカ」
ト オトモダチノ デンデンムシハ キキマシタ。
「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ
カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」
ト ハジメノ デンデンムシガ ハナシマシタ。
スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。
「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパ
イデス。」
ソレヂヤ シカタナイト オモツテ、ハジメノ デンデンムシハ、ベツノ
オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。
スルト ソノ オトモダチモ イヒマシタ。
「アナタバカリヂヤ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパ
イデス」
ソコデ、ハジメノ デンデンムシハ マタ ベツノ オトモダチノ トコロヘ
イキマシタ。
カウシテ、オトモダチヲ ジユンジユンニ タヅネテ イキマシタガ、ドノ
トモダチモ オナジ コトヲ イフノデ アリマシタ。
トウトウ ハジメノ デンデンムシハ キガ ツキマシタ。
「カナシミハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。
ワタシハ ワタシノ カナシミヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」
ソシテ、コノ デンデンムシハ モウ、ナゲクノヲ ヤメタノデ アリマス。
「デンデンムシノ カナシミ」
「校定 新美南吉全集第四巻」大日本図書所収
地域猫の梅ちゃん "オ散歩ニ 来テマス"
"今日モ 曇リ トキドキ雨ダネ"
22.6.23 東京都清瀬市
【文例】 近現代詩へ