墨場必携:漢詩 漢文 桜 春興 芳野三絶
山桜 22.3.31 東京都清瀬市
中国には日本で言う「桜」は詩歌には詠われていません。中国詩に「桜」字は用いられていますが、指す植物は私たちの知るサクラではなくユスラウメであり、中国の文学において「桜(ユスラウメ)」は梅や桃、梨ほども詩には採られません。中国の漢詩を手本に日本の漢詩が作られたのはもちろんのことですが、桜を漢詩に詠むのは日本人独自の営みです。従って、漢詩に現れる私たちの「桜」の最も古い例は、我が国最古の漢詩集『懐風藻』に詠まれた二題です。一つは連載第7回に御紹介した長屋王の詩です。今回はもう一つの方を抜粋して挙げました。
「春日侍宴」より二句 近江守采女比良夫
葉緑園柳月
花紅山桜春
葉は緑なり園柳[ゑんりう]の月
花は紅なり山桜[さんあう]の春
『懐風藻』所収
コゲラ 22.3.30 東京都清瀬市
「長嘯子霊山亭看花戯賦(長嘯子が霊山亭に花を看て戯れに賦す)」
藤原惺窩
君是護花花護君
有花此地久留君
入門先問花無恙
莫道先花更後君
君是れ花を護り花君を護り、
花有りて此の地久しく君を留む。
門を入り先[ま]づ問ふ花恙無[つつがな]きやと、
道[い]ふ莫[な]かれ花を先にし更に君を後にすと。
※長嘯子:木下勝俊の号。
染井吉野 22.3.27 東京都清瀬市
以下いわゆる「芳野三絶」
「芳野懐古」 梁川星巌
今来古往蹟茫茫
石馬無声坏土荒
春入桜花満山白
南朝天子御魂香
今来古往[こんらいこわう] 蹟茫茫として、
石馬声無く 坏土[ほうど]荒る。
春は桜花[あうくわ]に入りて 満山白く、
南朝の天子 御魂香[かんば]し。
昔から今に至る遙か遠い時間に、遺蹟ははっきりしなくなり、
御陵に侍す石造りの馬はただひっそりと控え、盛り土は寂れている。
春は桜の季節に入って吉野一山は花で真っ白、
花の香りで南朝の天子の御霊はいよいよ香しさを増している。
※南朝の天子:後醍醐天皇
「芳野懐古」 藤井竹外
古陵松柏吼天飈
山寺尋春春寂寥
眉雪老僧時輟帚
落花深處説南朝
古陵の松柏 天飈[てんぴょう]に吼え、
山寺春を尋ぬれば 春寂寥。
眉雪[びせつ]の老僧 時に帚くことを輟[や]め、
落花深き處[ところ]南朝を説く。
古い陵(みささぎ)のあたりの松柏は強風に吼えるような音を立てている。
山寺に春を尋ねてみると、春はもう盛りを過ぎてひっそりしている。
雪のような白い眉の老僧が箒を持つ手を止めて、
花の散りしきる中に南朝の故事を物語ってくれたのであった。
※古陵:後醍醐天皇陵(延元陵=塔尾陵)
※第56回例文に概訳有り
山桜 22.3.31 東京都清瀬市
「芳野懐古」 河野鉄兜
山禽叫断夜寥寥
無限春風恨未鎖
露臥延元陵下月
満身花影夢南朝
山禽[さんきん]の叫び断えて 夜寥寥[れうれう]たり、
無限の春風 恨み未[いま]だ鎖[き]えず。
露臥す 延元陵下の月に、
満身の花影 南朝を夢みる。
山に棲む鳥の声も絶えて夜は寂しく更けて行く、
幾年幾夜春風は絶えることがないが、南朝の無念はまだ消えてはいない。
延元陵にさす月光のもと、夜空を仰いで寝て、
満身に降りかかるような夜桜の姿に、遠い南朝を夢に描き見る。
※延元陵:後醍醐天皇の塔尾陵。延元年間に建てられた。
染井吉野 22.3.30 東京都清瀬市
庭でたまたま出逢ったグレコちゃんと御近所のチャー君、
日なたでお話しています。
【文例】 和歌