墨場必携:訳詩 近現代詩 故国 上田敏
21.7.20 東京都清瀬市
故国 上田敏(『海潮音』より)
小鳥でさへも巣は恋し、
まして青空、わが国よ、
うまれの里の波羅韋増雲。
月のメランコリア 柳澤健
おほぞらを はるばると
旅ゆけど 果もなし
さみしげに きよらかに
わが月は さまよひゆく
秋思 与謝野晶子
わが思ひ、この朝ぞ
秋に澄み、一つに集まる。
愛と、死と、芸術と、
玲瓏(れいろう)として涼し。
目を上げて見れば
かの青空(あをそら)も我(わ)れなり、
その木立(こだち)も我(わ)れなり、
前なる狗子草(ゑのころぐさ)も
涙しとどに溜(た)めて
やがて泣ける我(わ)れなり。
明日 与謝野晶子
過ぎこし方(かた)を思へば
空わたる月のごとく、
流るる星のごとくなりき。
行方(ゆくへ)知らぬ身をば歎かじ、
わが道は明日(あす)も弧(こ)を描(ゑが)かん、
踊りつつ往(ゆ)かん、
曳(ひ)くひかり、水色の長き裳(も)の如(ごと)くならん。
断章 二十 北原白秋「抒情小曲集」
大ぞらに入日のこり、
空いろにこころ顫ふ。
初戀の君おもふ
われの未練(みれん)ぞ、
あはれ、さは暮れはつるらむ。
WHISKY. 北原白秋「邪宗門」
夕暮(ゆふぐれ)のものあかき空(そら)、
その空(そら)に百舌(もず)啼(な)きしきる。
Whisky(ウイスキイ) の罎(びん)の列(れつ)
冷(ひや)やかに拭(ふ)く少女(をとめ)、
見よ、あかき夕暮(ゆふぐれ)の空(そら)、
その空(そら)に百舌(もず)啼(な)きしきる。
といき 北原白秋「邪宗門」
大空(おほそら)に落日(いりひ)ただよひ、
旅しつつ燃えゆく黄雲(きぐも)。
そのしたの伽藍(がらん)の甍(いらか)
半(なかば)黄(き)になかばほのかに、
薄闇(うすやみ)に蝋(らふ)の火にほひ、
円柱(まろはしら)またく暮れたる。
ほのめくは鳩の白羽(しらは)か、
敷石(しきいし)の闇にはひとり
盲(めしひ)の子ひたと膝つけ、
ほのかにも尺八(しやくはち)吹(ふ)ける、
あはれ、その追分(おひわけ)のふし。
ひらめき 北原白秋「邪宗門」
十月(じふぐわつ)のとある夜(よ)の空。
北国(ほつこく)の郊野(かうや)の林檎
実(み)は赤く梢(こずゑ)にのこれ、
はや、里の果物採(くだものとり)は
影絶えぬ、遠く灯(ひ)つけて
ただ軋(きし)る耕作(かうさく)ぐるま。
鬱憂(うついう)に海は鈍(にば)みて
闇澹(あんたん)と氷雨(ひさめ)やすらし。
灰(はひ)濁(だ)める暮雲(ぼうん)のかなた
血紅(けつこう)の火花(ひばな)ひらめき
燦(さん)として音(おと)なく消えぬ。
沈痛(ちんつう)の呻吟(うめき)この時、
闇重き夜色(やしよく)のなかに
蓬髪(ほうはつ)の男蹌踉(よろめ)き
落涙(らくるゐ)す、蒼白(あをじろ)き頬(ほ)に。
晩秋 北原白秋「邪宗門」
神無月、下浣(すゑ)の七日(しちにち)、
病(や)ましげに落日(いりひ)黄ばみて
晩秋(ばんしう)の乾風(からかぜ)光り、
百舌(もず)啼かず、木の葉沈まず、
空高き柿の上枝(ほづえ)を
実はひとつ赤く落ちたり。
刹那(せつな)、野を北へ人霊(ひとだま)、
鉦(かね)うちぬ、遠く死の歌。
君死にき、かかる夕(ゆふべ)に。
しづかな 画家 八木重吉『秋の瞳』
だれでも みてゐるな、
わたしは ひとりぼつちで描くのだ、
これは ひろい空 しづかな空、
わたしのハイ・ロマンスを この空へ 描いてやらう
鳩が飛ぶ 八木重吉『秋の瞳』
あき空を はとが とぶ、
それでよい
それで いいのだ
夜の葦(抜粋) 伊東静雄 「夏花」
いちばん早い星が 空にかがやき出す刹那は どんなふうだらう
それを 誰れが どこで 見てゐたのだらう
咏唱 伊東静雄(「わがひとに与ふる哀歌」より)
この蒼空のための日は
静かな平野へ私を迎へる
寛やかな日は
またと来ないだらう
そして蒼空は
明日も明けるだらう
鳥啼くときに 立原道造「優しき歌」
式子内親王【ほととぎすそのかみやまの】による Nachdichtung
ある日 小鳥をきいたとき
私の胸は ときめいた
耳をひたした沈黙(しじま)のなかに
なんと優しい笑ひ声だ!
にほひのままの 花のいろ
飛び行く雲の ながれかた
指さし 目で追ひ----心なく
草のあひだに 憩(やす)んでゐた
思ひきりうつとりとして 羽虫の
うなりに耳傾けた 小さい弓を描いて
その歌もやつぱりあの空に消えて行く
消えて行く 雲 消えて行く おそれ
若さの扉はひらいてゐた 青い青い
空のいろ 日にかがやいた!
【文例】 唱歌・童謡へ