墨場必携:漢詩 漢文 梅花
22.1.20 東京都清瀬市
「摽有梅」 『詩経』(「国風召南」)
摽有梅
其実七兮
求我庶士
迨其吉兮
摽有梅
其実三兮
求我庶士
迨其今兮
摽有梅
頃筺墍之
求我庶士
迨其謂之
摽[お]ちて梅有り
其の実七つ
我を求むる庶士よ
其の吉[よ]きに迨[およ]べ
摽ちて梅有り
其の実三つ
我を求むる庶士よ
其の今に迨べ
摽ちて梅有り
頃筺[けいきやう]もて之を墍[と]る
我を求むる庶士よ
其の之を謂ふに迨べ
摽:落ちる
庶士:庶「(おお)くの士(おのこ)
迨:及ぶ
頃筺:竹かご
墍:取る
※結婚をいそぐ娘が男たちに呼びかけるうた。
「山園小梅[せうばい]」 宋 林逋(りん ぽ)
衆芳揺落独喧妍
占尽風情向小園
疎影横斜水清浅
暗香浮動月黄昏
衆芳は揺落せしに独り喧妍[けんけん]たり
風情[ふうじやう]を占め尽くして小園に向かふ
疎影 横斜して水 清浅
暗香 浮動して月 黄昏[くわうこん]
月黄昏:月はけぶっている。おぼろ月。
◎林逋(967-1028)は諡(おくりな)の和靖(くわせい)の方が知られる北宋
の隠遁詩人。浙江杭州の市外、西湖の孤山に住み、梅を妻とし、鶴を子として
生涯独身を通した。
22.1.29 東京都清瀬市
「初聞蛙」(初めて蛙を聞く) 北宋 梅堯臣(ばい ぎょうしん)
朝開南籬梅
暮聞北池蛙
何時科斗生
草根已吐牙
朝[あした]に開く 南籬[なんり]の梅
暮に聞く 北池[ほくち]の蛙
何[いづ]れの時ぞ 科斗[くわと]の生れしは
草根[さうこん] 已に牙[め]を吐く
科斗:おたまじゃくし
◎梅堯臣(1002-1060)は官僚としては不遇であったが詩に刻苦精励した北宋の詩人。
「梅花二首」(抜粋) 宋 蘇軾
其一
春来幽谷水潺潺
的皪梅花草棘間
一夜東風吹石裂
半随飛雪度関山
春来 幽谷 水 潺潺[せんせん]たり
的皪[てきれき]たる梅花 草棘[さうきよく]の間
一夜 東風 石を吹いて裂き
半ば飛雪に随ひて関山を度[わた]る
「正月二十日、往岐亭。郡人潘古郭三人、送余於女王城東禅荘院」
(正月二十日、岐亭[きてい]に往く。郡の人潘[はん]・古[こ]・郭[くわく]の
三人、余を女王城の東の禅荘院に送れり)
数畝荒園留我住
半瓶濁酒待君温
去年今日関山道
細雨梅花正断魂
数畝「すうほ]の荒園は我を留めて住[ぢゆう]せしめ
半瓶[はんぺい]の濁酒は君を待ちて温かし
去年の今日 関山の道
細雨 梅花 正に魂[こん]を断てり
◎蘇軾(1036-1101、号は東坡)は書にもすぐれた、宋詩第一の巨人。
22.1.22 東京都清瀬市
「梅花絶句六首」(抜粋) 南宋 陸游
其三
聞道梅花坼暁風
雪堆遍満四山中
聞道[きくなら]く 梅花 暁風に坼[ひら]くと
雪 堆[うづたか]く 四山の中[うち]に遍[あまね]く満つ
・第2句の「雪」は、散った白梅の花びらが積もった雪のようだという。
其四
小亭終日倚闌干
樹樹梅花看到残
只怪此翁常謝客
元来不是怕春寒
小亭 終日 闌干[らんかん]に倚[よ]り
樹樹 梅花 残[ざん]するに到るを看る
只だ怪しむ 此の翁 常に客を謝するも
元来 是れ春寒を怕[おそ]るるならず
・第2句の「残」は散りしおれてしまうこと。
◎陸游(1125-1210、号は放翁)は詩一万首を作った、南宋を代表する愛国詩人。
「雨久初晴(雨久しくして初めて晴る)」 明 袁宏道(えん こうどう)
梅花吐冷魄
竹子舒烟尾
睎影落寒簷
微微苔甲起
梅花 冷魄[れいはく]を吐き
竹子[ちくし]烟尾[えんび]を舒[の]ばす
睎影[きえい] 寒簷[かんえん]に落ち
微微として苔甲[たいかふ]起こる
冷魄:ひっそりとした清らかな花のさま。
竹子:「子」は助字。
烟尾:地上に現れた竹の頭のほのかな綿毛の形容であろう。
睎影:朝日のかすかな光。
苔甲:苔のうろこ状の葉。
◎袁宏道(1569-1610、字は中郎)は明末の文人。その詩は「清新軽俊」と評される。
「三別好詩(さんべつかうのし)」(抜粋) 清 龔自珍(きょう じちん)
其三
忽作泠然水瑟鳴
梅花四壁夢魂清
忽ち作[おこ]る 泠然たる水瑟[すいしつ]の鳴[めい]
梅花四壁 夢魂[むこん]清し
泠然:清澄な水音の形容。
水瑟:清流の音を瑟(大型の琴)にたとえたもの。
◎龔自珍(1792-1841、号は定盦)は清代中期の公羊(くよう)学者。
「三別好詩」は格別愛好を寄せる三つの作品をテーマとした詩の意。
「其の三」は宋大樽の文集『学古集』に題したもの。
オ散歩ニ 来マシタ
【文例】 和歌