猫の森
22.10.25 東京都清瀬市
近づくのは野鳥観察の人か散歩人くらい。しかし街からもそれほど遠くない、この静かな森に、今何匹かの猫が暮らしています。
家族らしい猫も。
もう大きくなった子猫が甘えています。
若い猫が遊んでいます。きょうだいでしょうか。
散歩でよく出遇うひたちに似たあの猫も、
この森を住まいにしているようです。
自然猫を保護する人たちがいて、ボランティアで猫たちの世話をしています。家猫の寿命が十数歳、運が良ければ二十歳を越える今日でも、外で暮らす野良猫の平均寿命は約三年と以前から変わりません。猫は養生をしませんから、風邪を引いたら死んでしまいます。運に任せて、その三年内外の命を生きるのに、できる手を貸そうという人たちがいるのです。情報を交換して、可能ならば拾いに行き、里親を見つけることも含めて、できるだけ気の毒な野良を増やさないようにとも心がけています。野良を家族にするのは、よほど小さい時に保護するのでないとうまく人間家族とは同居できないようです。猫の社会の生き物になっていますから。
この森の猫たちは、優しい人に馴れて、割合人を怖がりません。散歩の途中に近づいても逃げず、中には進んでこちらに寄ってきて遊ぼうとする人なつこい猫もいます。
"ネエ ドコカラ 来タノ モット アソボー"
どこまでもついてくるので、別れがたくなってしまう若猫
それでも、猫の世話に毎日通う人によると、特定のバイクの音に非常に過敏になっている、という時があったりします。ある時たまたま森で猫といる時に、一台のバイクの男性がやって来ると猫たちが一斉に姿を隠した。そのバイクの運転者はマシンを止めて親しげに話しかけて来たそうですが、「多分猫はこの人で怖い目にあったのだろう」と、世話人のおじさんは直感したそうです。たしかに、どんなバイクの音でも逃げると言うわけではなかったようです。何か怖いことがあったあと、森の猫たちは耳を澄まして危険のサインを聞き分けていたということでしょう。
猫を嫌う人はいて、自由猫の世話についても議論はさまざまです。生き物の命をどう扱うか、どのように共にこの世を生きて行くか、その方法は簡単には決められないことがあります。しかし、猫の命を人間の勝手にして良いはずはないなと思います。強い方が苛めることはどんな場合でもあってはならないことです。私たちもたまたま人間に生まれてきただけで、運命が違えば猫の方だったのですし。
一方猫の側には、積極的に人を手伝おうというきわめて友好的な猫もいます。
"忙シイデショ 手伝ッテ アゲル"
ありがとう。気持ちだけでいいからね。手を出さないでね。
"仕事ヲシテルト ネムクナルネ"
眠気を送らないで下さい。
"猫ノ セイニ シナイデヨ"
寒くなってきました。例によって、うまくセーターを利用して
仰向け寝をしております。クークー寝息まで聞こえます。
"見ーツケタ"
とかくひたちにチョッカイを出されては、日頃憤慨しているみや、
絶好の反撃チャンスです。
"隙アリ"
小刻みのパンチを繰り出しております。
ひたちは気にせずクークー寝続けるでしょうが、みやの気は済むようです。
何だかんだといっても、猫はさっぱりしていて良いですね。
22.10.11 東京都清瀬市