墨場必携:散文 林檎
22.11.3 長野県佐久市
「三つのなぜ」 芥川龍之介
わが愛する者の男の子等の中にあるは
林の樹の中に林檎[りんご]のあるがごとし。
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その我上に翻したる旗は愛なりき。
請ふ、なんぢら乾葡萄[ほしぶだう]をもてわが力を補へ。
林檎をもて我に力をつけよ。
我は愛によりて疾[や]みわづらふ。
22.11.3 長野県佐久市
「くだもの」 正岡子規
普通のくだものの皮は赤なら赤黄なら黄と一色であるが、林檎
[りんご]に至っては一個の菓物[くだもの]の内に濃紅や淡紅や
樺[かば]や黄や緑や種々な色があって、色彩の美を極めて居る。
その皮をむいで見ると、肉の色はまた違うて来る。柑類は皮の色
も肉の色も殆ど同一であるが、柿は肉の色がすこし薄い。葡萄の
如きは肉の紫色は皮の紫色よりも遥[はるか]に薄い。あるいは
肉の緑なのもある。林檎に至っては美しい皮一枚の下は真白の肉
の色である。しかし白い肉にも少しは区別があってやや黄を帯び
ているのは甘味が多うて青味を帯びているのは酸味が多い。
「艸木虫魚」 薄田泣菫
柚の木の梢高く柚子の実のかかつてゐるのを見るときほど、秋の
わびしさをしみじみと身に感ずるものはない。豊熟した胸のふくらみ
を林檎に、軽い憂鬱を柿に、清明を梨に、素朴を栗に授けた秋は、最
後に残されたわびしさと苦笑とを柚子に与へている。苦笑はつよい酸
味となり、わびしさは高い香気となり、この二つのほかには何物をも
もつてゐない柚子の実は、まつたく貧しい秋の私生児ながら、一風変
つた秋の気質は、外のものよりもたつぷりと持ち伝えてゐる。
22.10.25 東京都清瀬市
【文例】 近現代詩