第92回信濃:みこもかる 林檎 実り
第92回【目次】
* 和歌
* 散文
* 訳詩・近現代詩
* 俳句
* みやとひたち
22.11.3 長野県佐久市
1 みこもかる信濃へ
み薦刈る信濃[しなぬ]の真弓[まゆみ]我が引かば
貴人[うまひと]さびていなと言はむかも
「万葉集」96 久米禅師
み薦刈る信濃の真弓引かずして
強ひさるわざを知ると言はなくに
「万葉集」97 石川郎女
「信濃の国の弓を引くように、もしもあなたの心を引いたなら、あなたはお上品に"いや"と言うでしょうね。」「信濃の国の弓を引いて見もしないで、弓弦のかけ方を知っている人はないと言います(本気で心を引いても見ないで、相手を自分に添わせることの出来る人はいません。誘うならはっきり言って!)」
この時点までどういう仲らいだったのでしょう。あまりすっきりしない求婚の歌の贈答です。この次に今度は石川郎女(いしかわのいらつめ)から発する遣り取りが一往復あったあと、久米禅師がしみじみと自分の恋心を述懐します。求婚はとりあえず成功したようです。
22.11.10 東京都清瀬市
この二首に見える「みこもかる(水薦刈る)」は信濃にかかる枕詞(まくらことば)です。信州は湖沼が多く、水辺の植物である薦(こも)の生えている所が多いところから来るとされます。いかにも枕詞、古代の修辞らしい素朴な趣です。今日知られている、同じく信濃にかかる枕詞「みすずかる(みすず刈る)」は、「万葉集」の古注釈において、この「みこもかる(水薦刈る)」を誤読したところから始まったとされ、古い歌には例がありません。とはいえ、これも亨保年間(1716〜1735)の注釈書「万葉集童蒙抄」(荷田春麿・荷田信名)などにはもう見られる言葉ですから、すでに三百年あまりの歴史を負う言葉です。今日信州には「みすず」という言葉が学校や各種施設、商品名などに数多く見られます。「みすず」という地名もあるようですが、この枕詞を意識したとものと思われます。
22.11.6 東京都清瀬市
11月3日、この日は晴天の特異日とされています。この日が晴れないことはまずないのだと言います。今年の11月3日も東京は快晴でした。とかく天候不順の今年のこと、この秋の日和を楽しまない手はないなと思いついて、関越経由上信越道の高速道路を長野県佐久市まで日帰りの旅行をしてきました。
現在佐久市の近代美術館では、天来書院のホームページでも紹介されている、比田井天来の特別企画展を開催しています。なかなか見ることの出来そうにない大掛かりな企画です。会期は12月5日までとゆっくりですが、所は信州、寒がりの私としてはその意味でも早く出かけたかったのです。
22.11.3 長野県佐久市
2 初恋
上信越道を信州に入ると次第に山の景色が険しくなり、あたりが冷え冷えして感じられます。11月3日、その朝には霜が降りたと聞きました。
22.11.3 上信越道車窓長野県
この時期に長野に行くと、たわわに実る林檎の木々を見ることができます。果物の林檎は知っていても、その実が木に生っているところを見たことがある人はそれほど多くはないのではないでしょうか。初めて見た時は、木の大きさと果実の大きさのバランスはこれでいいのかしらと思うくらいに、実は豊かで、林檎の木は重たそうに見えました。ひんやりと引き締まつた空気、枯れ枯れした厳しい山の景色の中に、林檎だけ枝が苦しいほどに鈴なりの盛んさを見せ、花々と豊満に艷やかなのが何ともいえない趣です。林檎のあたりに際立つた豊かさが、一層季節の寂しさをかきたてるような、静かな山国の秋の景色です。
22.11.3 長野県佐久市
まだあげ初[そ]めし前髪[まへがみ]の
林檎[りんご]のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛[はなぐし]の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅[うすくれなゐ]の秋の実[み]に
人こひ初[そ]めしはじめなり
島崎藤村「初恋」より拔萃
藤村の「初恋」は誰にも届く素直な叙情で当時から今日まで、長く人気のある詩です。曲を付けて歌われもしています。すでによく知られた恋歌ですが、秋の佐久のひんやりした空気の中で改めて言葉を辿ると、このいささか甘ったるい調べが意外に清冽なものに感じられます。詩歌の言葉の不思議です。
22.11.3 長野県佐久市
近代美術館の展示は、評判には聞いておりましたが、質、量ともにまことに見応えのあるものでした。本物の「泰山金剛経」の実にきれいな緑色の拓本を目近に見ることができたのも感激でした。作品の他に、写真類も興味深く見ました。熱をもって古きを学び、研鑽して新しいものを産み出すことに生涯を費やした比田井天来とそのゆかりの人々。どの場面を見ても表情の立派な天来、控えめで、年を重ねてもどこか生真面目な愛らしさの漂う小琴さんの肖像を見ていると、その書や歌の言葉が姿の奥に思い出されて、しみじみ感慨がありました。古きよき時代、と言ってしまえばさらに遠くなってしまいそうで、却って辛くなります。
お蕎麥が美味しいのは期待通りでしたが、新しい見聞として、佐久市は何と「日本三大ケーキの街」の一つとのこと。地元のパンフレットを見て知りました。確かに街中には洋菓子・和菓子とも、気の利いたお店が多いように見えました。美術館を散策して、お昼に美味しいお蕎麦を食べ、お茶の時間にさまざまなケーキ。好きなだけ林檎を買って帰る。こんなコースなら毎日でも出かけたいものです。皆さまも如何ですか。
22.11.3 長野県佐久市
* 和歌
* 散文
* 訳詩・近現代詩
* 俳句
* みやとひたち
22.11.3 長野県佐久市
1 みこもかる信濃へ
み薦刈る信濃[しなぬ]の真弓[まゆみ]我が引かば
貴人[うまひと]さびていなと言はむかも
「万葉集」96 久米禅師
み薦刈る信濃の真弓引かずして
強ひさるわざを知ると言はなくに
「万葉集」97 石川郎女
「信濃の国の弓を引くように、もしもあなたの心を引いたなら、あなたはお上品に"いや"と言うでしょうね。」「信濃の国の弓を引いて見もしないで、弓弦のかけ方を知っている人はないと言います(本気で心を引いても見ないで、相手を自分に添わせることの出来る人はいません。誘うならはっきり言って!)」
この時点までどういう仲らいだったのでしょう。あまりすっきりしない求婚の歌の贈答です。この次に今度は石川郎女(いしかわのいらつめ)から発する遣り取りが一往復あったあと、久米禅師がしみじみと自分の恋心を述懐します。求婚はとりあえず成功したようです。
22.11.10 東京都清瀬市
この二首に見える「みこもかる(水薦刈る)」は信濃にかかる枕詞(まくらことば)です。信州は湖沼が多く、水辺の植物である薦(こも)の生えている所が多いところから来るとされます。いかにも枕詞、古代の修辞らしい素朴な趣です。今日知られている、同じく信濃にかかる枕詞「みすずかる(みすず刈る)」は、「万葉集」の古注釈において、この「みこもかる(水薦刈る)」を誤読したところから始まったとされ、古い歌には例がありません。とはいえ、これも亨保年間(1716〜1735)の注釈書「万葉集童蒙抄」(荷田春麿・荷田信名)などにはもう見られる言葉ですから、すでに三百年あまりの歴史を負う言葉です。今日信州には「みすず」という言葉が学校や各種施設、商品名などに数多く見られます。「みすず」という地名もあるようですが、この枕詞を意識したとものと思われます。
22.11.6 東京都清瀬市
11月3日、この日は晴天の特異日とされています。この日が晴れないことはまずないのだと言います。今年の11月3日も東京は快晴でした。とかく天候不順の今年のこと、この秋の日和を楽しまない手はないなと思いついて、関越経由上信越道の高速道路を長野県佐久市まで日帰りの旅行をしてきました。
現在佐久市の近代美術館では、天来書院のホームページでも紹介されている、比田井天来の特別企画展を開催しています。なかなか見ることの出来そうにない大掛かりな企画です。会期は12月5日までとゆっくりですが、所は信州、寒がりの私としてはその意味でも早く出かけたかったのです。
22.11.3 長野県佐久市
2 初恋
上信越道を信州に入ると次第に山の景色が険しくなり、あたりが冷え冷えして感じられます。11月3日、その朝には霜が降りたと聞きました。
22.11.3 上信越道車窓長野県
この時期に長野に行くと、たわわに実る林檎の木々を見ることができます。果物の林檎は知っていても、その実が木に生っているところを見たことがある人はそれほど多くはないのではないでしょうか。初めて見た時は、木の大きさと果実の大きさのバランスはこれでいいのかしらと思うくらいに、実は豊かで、林檎の木は重たそうに見えました。ひんやりと引き締まつた空気、枯れ枯れした厳しい山の景色の中に、林檎だけ枝が苦しいほどに鈴なりの盛んさを見せ、花々と豊満に艷やかなのが何ともいえない趣です。林檎のあたりに際立つた豊かさが、一層季節の寂しさをかきたてるような、静かな山国の秋の景色です。
22.11.3 長野県佐久市
まだあげ初[そ]めし前髪[まへがみ]の
林檎[りんご]のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛[はなぐし]の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅[うすくれなゐ]の秋の実[み]に
人こひ初[そ]めしはじめなり
島崎藤村「初恋」より拔萃
藤村の「初恋」は誰にも届く素直な叙情で当時から今日まで、長く人気のある詩です。曲を付けて歌われもしています。すでによく知られた恋歌ですが、秋の佐久のひんやりした空気の中で改めて言葉を辿ると、このいささか甘ったるい調べが意外に清冽なものに感じられます。詩歌の言葉の不思議です。
22.11.3 長野県佐久市
近代美術館の展示は、評判には聞いておりましたが、質、量ともにまことに見応えのあるものでした。本物の「泰山金剛経」の実にきれいな緑色の拓本を目近に見ることができたのも感激でした。作品の他に、写真類も興味深く見ました。熱をもって古きを学び、研鑽して新しいものを産み出すことに生涯を費やした比田井天来とそのゆかりの人々。どの場面を見ても表情の立派な天来、控えめで、年を重ねてもどこか生真面目な愛らしさの漂う小琴さんの肖像を見ていると、その書や歌の言葉が姿の奥に思い出されて、しみじみ感慨がありました。古きよき時代、と言ってしまえばさらに遠くなってしまいそうで、却って辛くなります。
お蕎麥が美味しいのは期待通りでしたが、新しい見聞として、佐久市は何と「日本三大ケーキの街」の一つとのこと。地元のパンフレットを見て知りました。確かに街中には洋菓子・和菓子とも、気の利いたお店が多いように見えました。美術館を散策して、お昼に美味しいお蕎麦を食べ、お茶の時間にさまざまなケーキ。好きなだけ林檎を買って帰る。こんなコースなら毎日でも出かけたいものです。皆さまも如何ですか。
22.11.3 長野県佐久市
【文例】 和歌