第76回 声声已断華亭鶴:寒露凝霜 鶴声を断つ
第76回【目次】
* 漢詩 寒露凝霜
* 漢詩 山路観楓
* 漢詩 夜間落葉
* みやとひたち おつかれさま 御用納め猫
* みやとひたち 冬至猫 光の復活
* みやとひたち 冬猫
24.12.27 東京都清瀬市
声声已断華亭鶴
歩歩初驚葛履人
声々(せいせい)已(すで)に断つ 華亭(かてい)の鶴(つる)
歩々(ほほ)初めて驚く 葛履(かちく)の人
『和漢朗詠集』371 菅原道真
※『日本紀略』醍醐天皇 昌泰三年九月九日「重陽の宴、題に云ふ、寒露凝る」
※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
24.12.27 東京都清瀬市
菅公菅原道真(845〜903)の「寒露凝霜」を題に詠まれた詩から、『和漢朗詠集』に取られた二句です。
この詩は『菅家後集』に「九日宴に侍りて、同じく寒露凝るを賦すに応じ製(つく)る」とあり、『日本紀略』醍醐天皇の昌泰三年(900)九月九日の条に、「重陽の宴、題に云ふ、寒露凝る」とあります。
従ってここに挙げた二句は、題の寒露が凝って霜となる、というこの季節の歩みをまず含んで解釈します。
寒露が凝って霜になった
華亭の鶴もすでに声を断って鳴かなくなり
薄い履を履いた人は一歩一歩 歩を運んでは冷たさに驚く
霜 24.12.8 東京都清瀬市
「華亭鶴(かていのつる)」とある「華亭」は古代中国の呉国奉県郊外の地名にあります。呉の人で西晋に仕えた文人武将 陸機(りくき 261〜303)が故郷の華亭(かてい)の鶴の声を聴くことを好んだことが知られ、鶴の声に因む名所として我が国でも詩に引かれました。歌枕のようなものでしょうか。
陸機(りくき 261〜303)は詩文に優れ、誠実な人物でもあったとされますが、故国呉が滅びた後に西晋に仕えたので、西晋の朝廷では終始余所者扱いでした。さまざまな不遇が重なると最後は謀反の疑いを受けて誅せられました。最期の時に「華亭の鶴の声を聴きたい」と述べたのは、異国で謂われのない罪を被って死ぬ陸機の、痛烈な望郷の思いでもあったでしょう。
24.11.18 東京都清瀬市
我が国では、道真の後の人ですが、平安中期を代表する文人の一人、中書王(ちゅうじょおう)兼明親王( かねあきらしんのう914〜987)が詩の中に「華亭の鶴」を引いています。
欲和豊嶺鐘声否
其奈華亭鶴警何
豊嶺(ほうれい)の鐘の声に和せんと欲するや否や
それ華亭の鶴の警(いまし)めを奈何(いかん)
白露の時期に鶴が秋を警(いまし)めて(=注意を促して)鳴くという趣です。これと合わせて先の道真の詩の「声声已に断つ」などを考えると、詩世界では鶴は大気の冷えて来る白露の頃になると辺りに秋を告げて鳴き始め、すっかり冷え切って露も凍るようになる頃にはもう声を立てない、というものであったようです。冬は寂として物音がなくなる時節であり、鶴が声を断つのも、自然の歩みがその季節に入ったことを意味するのでもありましょう。
ジョウビタキ♀ 24.12.27 埼玉県所沢市
第二句にある「葛履(かちく)」は葛(かつら)を編んで作った履き物のこと、「かちく」あるいは「かつく」と読むのは「葛(かつら)」と「履(は)く」が複合した形。冬には防寒のために革製の履き物があり、葛履は主に夏の履です。
「歩歩初驚葛履人」は、薄い履き物で歩を進めて、一歩一歩に霜の冷たさを知るという、リアルな季節の体験が言葉になっています。
ルリビタキ♂ 24.11.18 埼玉県所沢市
さて、昨年まで数年続いた暖冬でしたが、この冬は早くから寒気が訪れ、北国は希に見る大雪の暮れになりました。各地の鶴も黙って雪の中にいるのでしょうか。
24.12.29 東京都清瀬市