第77回 恭頌新禧
狭山湖より望む富士 24.10.24
ルリビタキ 24.12.27 埼玉県所沢市
第77回【目次】 (追加 2013/01/07)
* 漢詩 富士山
* みやとひたち
スズメ 25.1.3 東京都清瀬市
仙客來遊雲外巓
神龍棲老洞中淵
仙客(せんきゃく)来(きた)り遊ぶ雲外(うんがい)の巓(いただき)
神龍(しんりゅう)棲(す)み老ゆ 洞中(どうちゅう)の淵(ふち)
※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
狭山湖より望む富士 24.10.24
詩は石川丈山(1583〜1672)の七言絶句「富士山」から前半の二句です。
雲の外にある巓は仙人の来たり遊ぶ処、
洞窟の奥の深い淵は年経た龍の棲処(すみか)。
富士山は高くかつ姿が美しいことをもって類を見ない山です。平安時代九世紀の半ば、都良香(みやこのよしか)が遺した「富士山記」に、この山についての不可思議な話が記されています。
承和年間(834〜848:仁明天皇代)のこととして、この山の峯から加工された(緒や紐を通せるように孔の開けられた)宝玉が落ちて来たという。察するところ、仙人の簾(すだれ)に貫き通して付けた飾りの宝石なのであろう、と良香は述べています。
また、貞觀十七年十一月五日(875:清和天皇代)に、古式に従って富士の祭祀を執り行った折のこと、お祭りに奉仕した人々は、よく晴れた山頂に白衣の美女が二人、山の上で並んで舞いを舞っているのを見たという。しかも、その白衣の二人は山頂から一尺あまりも離れ、たしかに浮き上がっていたというのです。
25.1.1 東京都清瀬市
端正な姿、雪を頂く神秘的な佇まい、近づけば圧倒される高さ大きさ。もとより富士は比類のない山で、山はおのづから神秘の拠り所になりますが、「富士山記」など平安前期以来の伝承がここを具体的なイメージをもって神仙の山としたのです。
石川丈山の「富士山」詩も、始めのこの二句は富士の神秘的伝承をそのまま引くものです。
ジョウビタキ♀ 25.1.4 東京都清瀬市
石川丈山(1583〜1672)は江戸初期を代表する漢詩人。三河の人。名は重之(しげゆき)。号に六々山人、凹凸窠、詩仙堂など。もとは徳川譜代の武家で、大阪夏の陣に参戦した人です。大阪の役の後武士をやめて隠棲しました。藤原惺窩に儒学を学び、書、茶道にも名があります。幕末の書『煎茶綺言』(梅樹軒東牛)が煎茶家系譜に丈山を煎茶の元祖としていることを挙げて、丈山を煎茶の始祖とする説もあります。
近い頃の大名歌人木下長嘯子(木下勝俊 1569〜1649)が京都東山に持った別邸は三十六歌仙の肖像が掲げられていたことで歌仙堂と呼ばれました。それに倣って漢詩人の丈山は中国歴代の詩人を三十六人選んで、狩野探幽に肖像を描かせ、堂内二階の四方の壁に掲げました。それまで凹凸窠と呼ばれていた建物はそれ以後詩仙堂の名で知られるようになりました。丈山の最も広く通る号でもあります。
文武に優れていた丈山には隠棲の後も仕官の誘いは多かったといいますが、性清潔で欲の少ない丈山は、家族を養うために最少の期間を任官したばかりでした。学問に勤しんで、九十年の生涯を思うままに過ごしました。
25.1.2 東京都清瀬市