第50回 横枝不見花:色こそ見えね 確かな存在
第50回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
24.2.10 東京都清瀬市
竹外暗聞香
溪南天欲夕
横枝不見花
凍月一痕白
竹外(ちくがい) 暗(あん)に香(こう)を聞き
溪南(けいなん) 天(てん)夕(く)れんと欲す
横枝(おうし) 花を見ず
凍月(とうげつ) 一痕(いっこん)白し
※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
24.2.10 東京都清瀬市
詩は幕末から明治の文人江馬天江(えま てんこう1825〜1901)の五言絶句「梅花」です。夕暮れのひとときを詠んだ詩です。
24.2.10 東京都清瀬市
竹叢(むら)の外にどこからともなく芳しい香りが漂い、渓(たに)の南の空は暮れかかる。
第一句はここでは「暗」を副詞として、「暗(あん)に香(こう)を聞き」と訓みますが、漢語にはどこからともなく漂ってくるよい香りを意味する「暗香」という熟語もあり、多くはこの詩のように梅の芳香を指して用いられます。
「横枝(おうし)」は横に延びた枝。横生えの枝。「凍月」は寒い時期のひややかな月をいう言葉です。「一痕白し」とあるのは、痕のように細い鋭い月であることを表します。
よい香りがしていますが、目に入る横生えの枝には花もなく、香のもと、花を探して振り仰いだ目は、暮れなずむ空に浮かぶ一すじの細い白い月の姿を捉えます。
24.2.11 東京都清瀬市
この時は夕暮れ、その時間帯に細い月が出ているのは陰暦の月の始めです。
陰暦の暦は月の運行に従うので、毎月の日付は空に見える月の形と相関します。十五夜という言葉があるように、十五日の夜の月が満月(望 もち)です。十五夜のあと、月は日を追って欠けて細くなり、すっかり姿を見せなくなるのが「月籠もり→つごもり(晦日)」です。そして、籠もっていた月がほんのり細い姿を表すのが「月立ち→ついたち」、月の初日です。三日月というのはもともとは三日目の月の細さを言うものでした。
また、月の出の時刻も変動します。月の上旬は出が早く、夕暮れには見えます。陰暦のおよそ七日頃までの夕方の月を「夕月夜(ゆうづくよ)」と呼びます。「十五夜」と言って夜の方ではなく満月そのものを示すように、「夕月夜」も月を呼ぶ名称です。この第四句「凍月一痕白」の月は、出ているのが夕暮れであることと合わせれば、細ければ細いほど月の早い日付であろうと推定することができるのです。
23.1.7 東京都清瀬市
ところで、この詩のタイトルは「梅花」です。しかし、詩に花の姿はありません。むしろはっきりと「花を見ず」とあります。目に映るのは花のない枝、そして夕暮れの凍るような細い月。それでも「梅花」がこの詩の中心になり得るのは、「竹外(ちくがい) 暗(あん)に香(こう)を聞き、溪南(けいなん) 天(てん)夕(く)れんと欲す。」そこに漂う香りがあるからです。
24.2.4 東京都清瀬市
姿が見えなくともそれとはっきり分かる芳香。その気品のある香りこそが梅の身上でしょう。『古今和歌集』の代表歌の一つに、
春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やはかくるる
凡河内躬恒『古今和歌集』 春上41
とあるのも、梅の隠れのない芳香を詠んだものです。
春の夜の闇はわけのわからないことをする。夜の闇に花の姿は見えないが、
香りは隠れるものだろうか、いや隠れはしない。隠そうとしても無駄なのに。
梅花、とりわけ梅の香りを詠む詩歌は数知れませんが、この「梅花」詩は、詩の言葉に梅そのものを説明する辞句を一切用いずに、「暗香」を漂わせることでたしかな存在だけを詠んでいます。抑制の利いた美しさが魅力的な作です。
24.2.2 東京都清瀬市
作者江馬天江(えま てんこう1825〜1901)、名は聖欽、字は永弼、通称俊吉。近江の人。本姓下阪氏。父の下阪篁斎は医師であり、天江も初めは医学を修め、二十一歳の時、同じく仁和寺の侍医江馬氏の養嗣子となりました。緒方洪庵(1810〜1863)の適塾に学び、梁川星巌(やながわせいがん 1789〜1858)に就いて詩文を学び、幕末には実兄板倉槐堂(いたくらかいどう 1822〜1978:板倉氏に養子に入る)や山中静逸(やまなかせいいつ 1822〜1885)といった勤王の同志と国事に奔走しました。維新後は太政官史官として明治政府に出仕しましたが、早々に官を離れ、後は悠々自適の生活を送りました。書画、詩歌、茶の湯の道に交友は広く、明治期の京都を代表する文人です。女流書家の熊谷恒子(1893〜1986)は孫に当たります。明治二年(1869)に江馬天江が開いた私塾立命館は現立命館大学の前身になりました。
24.2.10 東京都清瀬市