2012年7月 6日

第67回 雨中閑話:和製漢文が綴る 富士山記(二)


第67回【目次】         
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    * 漢文

    * みやとひたち



 
   
8富士.jpg                                         23.1.9 東京都清瀬市より

  前回に引き続き、都良香(みやこのよしか 834〜879)の「富士山記」、その後半です。
  訓読文で御紹介します。原文は漢文(文例)のページで御覧下さい。

   山を富士と名づくるは、郡(こおり)の名に取れるなり。
   山に神あり。浅間大神(あさまのおほかみ)と名づく。
   此の山の高きこと、雲表(うんぴょう)を極めて幾丈と云ふことを知らず。

  ※以下も( )内の読み方表記は現代仮名遣い。
   原文と歴史的仮名遣い表記の訓読文は漢文(文例)のページで御覧下さい。


  富士山の頂上は雲を突き抜けて、その高さは計り知れないと述べています。


   頂上に平地有り、広さ一許里(いちりばかり)。其の頂の中央(なから)は
   窪み下りて体(かたち)炊甑(すいそう)の如し。甑(こしき)の底に
   神(あや)しき池有り。石の体(かたち)驚奇なり、宛(あたか)も蹲虎
  (そんこ)の如し。


  頂上には一里ほどの広さの平地があり、その中央部は窪んでいて、その形は
  煮炊きに使う甑(こしき)のようだと言います。甑とは蒸し物を作る土器で、
  蒸籠と同等の用途の炊事道具です。
  その甑の底には霊妙な池があり、そこを形づくる岩はまるで虎が蹲(うずくま)っ
  ているように見える。

    
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                                            24.6.30 東京都清瀬市

   亦其の甑の中に、常に気有りて蒸し出づ。其の色純(もは)らに青し。
   其の甑の底を窺へば、湯の沸き騰(あが)るが如し。其の遠きに在りて
   望めば、常に煙火を見る。


  ここの記事は富士の火山活動を描写しています。「煙火」とは竈(かまど)の煙のことです。山頂の様子を炊事器具の甑に喩えましたから、それに合わせた表現です。


   亦其の頂上に、池を匝(めぐ)りて竹生ふ。青紺(せいこん)柔愞(じゅうぜん)
   なり。宿雪(しゅくせつ)春夏消えず。


 「宿雪」というのは年中消えないで残っている雪のこと。当寺の日本人は真夏でも雪を頂いているその姿に驚いたのです。

    
0630ノウゼンカツラ1554.jpg                                            24.6.30 東京都清瀬市


   山の腰より以下(しもつかた)、小松生ふ。腹より以上(かみつかた)、
   復た生ふる木無し。白沙(はくさ)山を成せり。其の攀ぢ登る者、
   腹下に止まりて、上に達(いた)ることを得ず、白沙の流れ下るを
   以(も)ちてなり。相伝ふ、昔役(え)の居士といふもの在りて、
   其の頂きに登ることを得たりと。後に攀ぢ登る者、皆額を腹の下に点(つ)く。


 「山の腰」とは山腹の意で山の中腹のことです。「腹」は山腹で、これも中腹を指します。

  富士山は白砂で出来ていて、登ろうとしても足許の白砂がサラサラと流れ、その砂とともに流れ落ちてしまう。誰も登れない山でした。それを、役の行者(えんのぎょうじゃ)という修験者が、ついに山頂にまで到ることができた。その方法に倣って、以後はその山に登ろうとする者はみな額を山腹に付けるようにして登った、と。

  役の行者(えんのぎょうじゃ)とは古代の伝説的な修行者で、超能力者として様々な逸話を残します。富士に限らず、諸国に伝説があります。誰もが志しても登れないような富士山に初めて登った人物とは、やはり役の行者くらいの特別な人が似合うのでしょう。

   
0704実2085.jpg                                            24.7.4 東京都清瀬市

   大きなる泉有り、腹の下より出づ。遂(つい)に大河を成せり。其の流れ
   寒暑水旱(かんしょすいかん)にも、盈縮(えいしゅく)有ること無し。


 「盈縮」とは伸び縮み、増減です。富士山中の泉から湧き出て大河となる川は水が豊かで、寒暑を問わず、日照りの時でも、いつも同じように流れて涸れることがないという。


   山の東の脚の下に、小山有り。土俗(くにひと)之を新山(にいやま)と謂ふ。
   本は平地なりき。延暦廿一年三月に、雲霧晦冥(かいめい)、十日にして
   後に山を成せりと。蓋(けだ)し神の造れるならむ。


  始めはなかった「新山」の出現を記録する貴重な記事です。
  雲が湧き、あたりは霧がかかったようにかすみ、真っ冥(くら)闇になって十日、忽然とその新山は成っていたと。まるで神話の国作りの時期の物語のようです。都良香もやはり、神が作り給うたのであろう、と結んでいます。

    
0703花1875.jpg                                            24.6.10 東京都清瀬市

  富士山の地勢や植生についての具体的な記事は、極めて理性的な観察あるいは調査の記録です。

  高く美しい山、我が国の誇る富士山の気高さは、神の介入を思わずにはいられない霊妙なものではありますが、実に即物的な現実的な説明記事と神への讃仰とが、何ら齟齬なく同居している文章に、心に神を抱く当時の知識人の一段謙虚な精神を覗うことができます。

    
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  さて、梅雨も間もなく明けようとする頃になりました。
  薄暗い空ももう少しの間ですね。






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