2011年2月17日

第8回 梅花落:聖人転生 その名は「かみの」

第8回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち





      
      
12翡翠雪.jpg                                  小雪の中の翡翠 23.2.12 東京都清瀬市


     鶊鳴梅院暖
     花落舞春風
     歴亂飄鋪地
     徘徊颺滿空

   鶊(うぐひす)鳴きて 梅院(ばいゐん)暖(あたた)けく
   花落(ち)りて春風(しゆんぷう)に舞ふ
   歴乱(れきらん)飄(ひるがへ)りて 地(つち)に鋪(し)き
   徘徊(はいくわい)颺(あが)りて 空に満つ

              「梅花落」嵯峨天皇『文華秀麗集』所収


  詩は勅撰漢詩集『文華秀麗集』(弘仁9年 818)に見える嵯峨天皇の御製、五言八句の楽府の始めの四句です(文例に詩全部を挙げてあります)。

      
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                                         23.2.12 東京都清瀬市

  題の「梅花落」はもともと楽府横吹曲辞の一。六朝時代からという笛の楽曲名です。
この詩はその曲名を題にして詠まれたものです。音楽にも造詣の深かった嵯峨天皇にふさわしい題材でもあります。

   ウグイスが鳴いて 梅の花咲く中庭は暖かく、
   花が散って 春の風に舞う。
   花びらは乱れ散り 風にひるがえって地に散り敷き、
   あちらこちら高く舞い上がって 空に満ちている。

  ウグイスの鳴く温暖な春の陽ざしに、盛んに散っては空に舞う白い梅の花びら。花びらを湛える風と天空とが歌われると、こちらにも梅ならではの香気が漂ってくるような気がいたします。

      
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  この詩を収める『文華秀麗集』は弘仁貞観文化が誇る勅撰三集(漢詩集)の二番目に当たる作品です。現存する詩は全部で143首(記録に拠ればもとは148首あったようです)。28名の詩人を擁する集の中に、嵯峨天皇の御製は集中最多数の33首を占め、名実共にこの時代最大の詩人であったことを物語ります。

        
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  嵯峨天皇は精力的に政治を動かし、先の回に御紹介した通り、蔵人や検非違使といった新しい機関を設置しては自ら陣頭に立って、そののち長く貴族社会に受け継がれることになる政治体制の基礎を固めました。多くの年中行事が宮中の制度として定められたのも嵯峨天皇の時代でした。

        
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  譲位の後も太政天皇と号し、皇族の長として、時には次代の淳仁(第53代、嵯峨帝の実弟)・仁明(第54代、嵯峨帝皇子)天皇の意にすら従わず、強い指導力を行使し続けました。23歳で即位してから57歳で亡くなるまでの35年間になされた政治的な事跡の数々、三回に及ぶ勅撰漢詩集の編纂、自ら手にした詩や書、音楽活動などに遺した仕事の分量だけを見てさえ、この人物の並外れたスケールが知られます。多方面に発揮されたその才能は、各種の説話集に載って後世に伝えられることになりました。

        
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  最澄(さいちょう)の散華[死去]に詩を贈った話(「拾遺往生伝」)などの仏教説話系、空海(くうかい)・小野篁(おののたかむら)といった曲者との機知に富んだ智慧遊びを語るもの(「今昔物語」「宇治拾遺物語」)、当時の学問・文学・音楽の一場面を語るもの(「江談抄」「古今著聞集」「撰集抄」「十訓抄」「類歌古今集」)など、多種多様、枚挙に暇がありませんが、その中の最も古いエピソードは「日本霊異記」にあります。

          
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  伊予国に修行する寂仙(じゃくせん)なる高僧が死に際して、28年後に国王の子に生まれ変わって「かみの」と名告ると言い置いた。ちょうど28年後に生まれたのが加美能親王、すなわち嵯峨天皇だというのです。

  これは嵯峨帝の叡明を、高徳の智者の生まれ変わりと見て納得する物語でしょう。

  「日本霊異記」は著者が奈良薬師寺の僧景戒とわかっており、成立は弘仁13年 (822)頃とされています。嵯峨天皇の在世中、実物を知る人びとのいた時代にこうした
"叡明の理由"が流布していたことに、同時代の人がこの天皇に対して、何らかのいわくを求めたくなるような圧倒的な能力を感じていたことが窺われます。

        
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