第63回 天蒼蒼野茫茫:空と地平の夏の歌(内陸地民謡から)
第63回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
24.5.27 東京都清瀬市
敕勒川
陰山下
天似穹廬
籠蓋四野
天蒼蒼
野茫茫
風吹草低見牛羊
敕勒(ちょくろく)の川
陰山(いんざん)の下(もと)
天は穹廬(きゅうろ)に似て
四野(しや)を籠蓋(ろうがい)す
天は蒼蒼(そうそう)たり
野は茫茫たり
風吹き草低(た)れて牛羊(ぎゅうよう)を見る
※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
24.5.27 東京都清瀬市
これまでに御紹介して参りました詩作品とは趣を異にする素朴な言葉、修辞に拘らない到ってあっさりした表現にお気づきでしょうか。 これは、誰が作ったとも知れない民謡です。もとは漢語ですらありませんでした。
モンゴル高原から中央アジアの草原地帯に住むトルコ系の遊牧民族の間で歌い継がれて来た歌を、北斉の人 斛律金(こくりつきん 488〜567)が漢語に翻訳したものなのです。律詩や絶句といったお馴染みの定型詩が完成する以前のこと、斛律金はもとの歌を、おそらく同じように歌うことも出来る形にそのまま漢詩に作ったものと思われます。 通称に「敕勒歌(ちょくろくのうた)」と呼ばれるこの詩は、万里の長城の彼方、一般の漢民族にとっては未知の異境を詠んだものでしたから、漢詩世界においても極めて特異な存在としてその後も伝承されてゆきます。
忍冬 24.5.27 東京都清瀬市
「敕勒(ちょくろく)」は「テュルク(チュルク)」というトルコの音を漢語に写したものです。同じ音を写したと見られる丁令、丁零、という表記も残っています。古代にテュルク語を母国語とする遊牧民族(=トルコ系遊牧民族)はユーラシア大陸の中央部に広く分布していました。漢民族からは野蛮な外敵と扱われて、北狄(ほくてき)と呼ばれていた民族、また6世紀に突厥(とっけつ)と呼ばれた民族も、このトルコ系の遊牧民族でした。
24.5.20 東京都清瀬市
敕勒の「川」とあるのはそのあとの「陰山」に対して、河川も流れる平原全体を表すと思われます。「陰山」は内モンゴルから興安嶺に連なる内陸部の山脈です。「穹廬(きゅうろ)」とは、遊牧民族が住まいに使っていた上部が円形のテント式の建物を指します。
敕勒の平原は
陰山の山脈の麓
天は円(まる)いテントのように
四方の平原を覆う
大空は澄んで 抜けるように蒼く
草原は 見わたすかぎり果てしなく広がる
風が吹くと 草は低くなびき 牛や羊の姿が見える
我が国には見ることのできないダイナミックな眺望。天は蒼蒼(そうそう)たり、野は茫茫(ぼうぼう)たり。ただ天と地との間にあるという、遊牧の民の神の子のような暮らしも垣間見えます。気宇の大きさがこの詩の魅力です。飾りのない、線の太い歌い振りに、大平原の緑の夏の輝きが生き生きと今日にも伝わります。
24.5.30 東京都清瀬市