2012年1月13日

第46回 春江天已曙:水辺の新春 頼山陽


第46回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち



      
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     幾樹麴塵(きくじん)の煙(けむり)
     春江(しゅんこう)天已(すで)に曙(あ)く
     唯(た)だ聞く 鶯語(おうご)の声(こえ)
     見えず  鶯(うぐいす)の棲処(すみか)

     ※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
       歴史的仮名遣い表記は漢詩(墨場必携)のページで御覧下さい。
     
      麴塵煙:浅緑色のもや、霞。
          「麴塵」は明るい緑色。若柳の色などに言う。
          「煙」は靄(もや)、霞のこと。
      鶯語声:鶯の囀り。

    
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                                          24.1.4 東京都清瀬市

  詩は江戸後期の頼山陽(1781〜1832)の五言絶句「山水小景」です。五首連作のうちの一つです。

  分かりやすく水辺の春の夜明けを歌います。

  浅緑の春霞が木々に漂い、というのは、わずかながら新芽は木々に芽吹いているのでしょう、その若い緑が靄(もや)に溶けて、遠景が浅緑色の霞になっているのです。ここに花の色が混じるのはまだ先のことなのでしょう。やさしく若々しい早春の色合いです。

  水辺に日はすでに昇っています。穏やかな若い朝の光の中に、ただ囀(さえず)る鶯の声が聞こえます。しかし、その姿は見えない。

   
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                                     ルリビタキ 24.1.9 東京都清瀬市

  季節は「麴塵煙」とあるところから、春も早い頃とわかります。本当の季節で言えば昔の立春のあとを言うはずで、現在のカレンダーに重ねれば二月の上旬になるのでしょう。したがって、今の気候はまだ現実にはこの詩に追いついておりません。

    
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  明治五年(1872)の改暦以来、古典の月をそのまま現在の月でなぞることは出来なくなりました。たとえば陰暦五月の梅雨の詩は現行暦なら六月中旬頃のものとして読んで納得がゆきます。七夕は現在でも七月七日に日付を固定していますが、本来陰暦七月であった七夕は、本当は今の七月七日ではまったく気候が違い、実は今の八月半ば、暑さの最高潮を過ぎ、夜にはふと涼しい風を感じるような時であってこその星祭りです。古典の七夕の詩歌はそんな秋の気配とともに読んではじめて、しみじみとした抒情がただようのです。ですから、古典を「今」の季節に重ねて実感をもって読もうとすれば、暦を約一ヶ月調整する必要があります。

  この暦のずれを扱う時、もっとも難しいのが歳末と新年でしょう。「新年」「新春」すなわち早い春の時期の作品を、現代の新春に重ねることが気候の上では実は不適当だからです。真実の気候に合わせれば現代の二月になってしまいます。しかし、「新年」「新春」の人心に立ち上る新鮮な感興はやはり現代でも新年一月のものでしょう。二月はもう新春ではありません。

    
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  今日私たちが自分の国の古典を正しく継承するためには、今やはっきりと継承のための意志を持たなければなりません。意志を持って具体的な努力をしなければなりません。その一つには、かつての仮名遣いを学び、原典を読む鍛錬を続けること。もう一つがこの季節と暦の問題。陰暦の体系を理解し、現行暦とのずれを意識して、その時の真実を汲み取る姿勢で作品を受け取ることでしょう。


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  この詩に歌われる鶯は古来 春を代表する鳥です。平安時代の早い頃の和歌には次のような歌がありました。

  鶯の 谷よりいづる声なくは 春来ることを 誰(たれ)か知らまし
                             大江千里

  鶯は春になると谷から出てきて鳴きはじめるとされ、春の到来を告げる鳥、別名「春告鳥」とも呼ばれました。当時の言い伝えに沿って素直に詠んだ歌ですが、多くの人の共感を集め、この歌が更にその言い伝えを強化するような役目を果たすこととなりました。鶯の声がすると、ああ春になったのだ、と人は納得し、声がしないと春を実感できない、これでは春ではないと、もの足りなく思うようになったのでした。

    
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  ところで、鶯の声と言っても、春の早い頃は短く「キョッ、キョッ」と鳴いて、桃や桜の咲く春たけなわの頃になって、よく知られた鳴き方「ホーホケキョ」が完成します。この間の不規則な鳴き方は、あたかもその歌の熱心な練習期間のように聞こえます。

  このように、私たちが春の鳥 鶯の声を聞くことができる期間は割合長いのです。しかし、この鶯はたいへん用心深い鳥で、声はすれどもその姿を見かけることは稀です。大抵は薮や繁みの中に身をひそめたままで、広い所にはなかなか姿を現しません。ですから、このたびの五絶の「唯だ聞く鶯語の声、見えず鶯の棲処」はその生態にもよく合って、実にリアルな感じが致します。

   
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                                   ジョウビタキ 24.1.14 東京都清瀬市

  鶯の宿になる梅は、このあたりは例年より開花が随分遅れています。鶯と違って姿をよく見せてくれるジョウビタキが、あちこちの梅の木の、まだ固い蕾の枝にとまっているのをよく見かけます。我が家の庭にも毎年訪ねてくれるジョウビタキがいるのですが、今年はまだ会いません。もしかして、梅の花咲く気配もない庭を、ここと気付かないのだったら寂しいことです。みやもひたちも待っているのですが。
  
    
0114ジョウビタキ9520.jpg                                     ジョウビタキ 24.1.14 東京都清瀬市
  











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