第31回 茉莉花開く:秋近し
第31回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
23.9.9 東京都清瀬市
秋近(秋近し) 張紅蘭(ちょうこうらん)
茉莉花開滿院香
燈痕夢影夜初涼
空階一霎吟蛩雨
已送秋聲到客牀
茉莉(まつり)花開き 満院(まんいん)香(かんば)し
燈痕(とうこん)夢影(むえい) 夜初めて涼し
空階(くうかい)一霎(しょう)吟蛩(ぎんきょう)雨のごとく
已(すで)に秋声を送りて客牀(かくしょう)に到る
23.9.9 東京都清瀬市
詩は近世の七言絶句「秋近(秋近し)」です。
茉莉(まつり)はジャスミンの一種。白い花に独特の芳香があります。茉莉の花そのものを見たことがなくても茉莉花茶の香りならわかるという方も多いことでしょう。
茉莉花 23.9.9 東京都清瀬市
これも茉莉花またはバンマツリと呼ばれる園芸植物。
紫に咲いて次第に白い色に変わってゆく種類。
この詩にあるジャスミンではありませんが芳香があります。
「満院」とある「院」とは庭のこと。庭園いっぱいにかぐわしい花の香りが満ちています。燈も燃え尽き、夢も消えて、夜はやっと涼しくなりました。誰もいない階(きざはし)にひとしきり短い雨が降っているような盛んなコオロギの鳴き声。香る茉莉花。いかにも胸沁みる秋の始まりです。作者は「客牀」旅の宿、枕もとに届くこの秋めく声を聞いています。
23.9.9 東京都清瀬市
今日も日中は30度を超える気温になりました。残暑はまだ続きそうですが、日が落ちてからの様子はすっかり変わりました。闇を流れる涼しい風が夏に疲れた心身を癒します。夜がやさしいと感じられるこの頃です。二十四節気でいう「白露(はくろ)」はちょうどこんな時期です。大気が冷えてきて、「露にごりて白色となれば也」と『暦便覧』にあります。今年は9月8日がその日にあたりました。
23.9.10 東京都清瀬市
作者張紅蘭(ちょうこうらん 1804〜1879)は岐阜大垣の人。幕末の漢詩人梁川星巌(やながわ せいがん 1789〜1858)の妻女 。星巌とはまた従兄妹(いとこ)にあたります。本姓稲津氏、名はけい。詩には張氏を名告り、紅蘭は号。詩文には別名張景婉を用い、字(あざな)に道華、月華、玉書などとも称しました。
星巌の私塾で十四歳から漢籍を学び、師を慕って十七歳の時、三十二歳になる星巌と結婚しました。「一心に勉強すると先生を好きになってしまうの法則」が女子にはあるようです。星巌は放浪癖があったとされるほど居所が定まらず、本拠を空けてたびたび長い外出をしましたが、結婚してからは当時としては珍しくその旅に妻を伴うことも多かったといいます。そう言えば、近代書の泰斗比田井天来と小琴の夫妻もよく連れだって旅行していました。天来・小琴の夫妻もそうであったように、師弟関係を持つ夫婦には独特の仲むつまじさがあるような気がいたします。
23.9.9 東京都清瀬市
梁川星巌は吉田松陰や頼三樹三郎といった思想家と親しく、安政の大獄の逮捕者リストに上った人物です。大量捕縛が始まる直前に病死しました。その代理のように妻紅蘭が逮捕されます。家族であったというだけでなく、明らかに一味の者とみなされる存在だったからです。心得ていて逮捕前に夫宛の書簡類などを煙滅していたとも言います。幸いなことには、半年足らずの拘留で翌年には釈放されました。
23.8.28 東京都清瀬市
その後は夫の遺稿を整理し出版して世に送り、また私塾を開いて後進の教育にあたりました。星巌に後れてひとり二十年余り、なお弟子として星巌の学問を尊び、自分にできる形で継承して生きたと言えます。年の離れた夫婦でしたから、先立たれた後が長いことは承知の上の半生でしたでしょう。そこに亡き人の教えがあり、学ぶべき学問があるということが、こうした人をよく孤独から守ったことでしょう。
23.9.9 東京都清瀬市