2011年10月22日

第37回 長月十三夜:空の清明 戦国の詩人上杉謙信

第37回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち



      
1030菊1318.jpg                                          23.10.30 東京都清瀬市

     霜満軍営秋気清
     数行過雁月三更
     越山併得能州景
     遮莫家郷憶遠征

      霜は軍営に満ちて秋気清し
      数行(すうこう)の過雁(かがん)月三更[さんこう)
      越山併(あは)せ得たり能州の景(けい)
      遮莫(さもあらばあれ)家郷(かきょう)遠征を憶(おも)ふ

       ※( )内の表記は現代仮名遣い

   
1029鴨1135.jpg                                           23.10.29 東京都清瀬市


  詩は上杉謙信(1530〜1578)の七言絶句「九月十三夜」です。

  一年で最も美しい月と古来讃えられてきた中秋名月のほか、もう一つの名月と、我が国固有の習慣として親しんでいたのが陰暦九月の十三夜です。中秋の観月のあとなので、通称「後(のち)の月」と呼ばれます(連載「みやと探す...」第20回)。古典ではただ「名月」と言えば葉月十五夜を表すように、「十三夜」とだけ言う場合、多くは長月(陰暦九月)十三夜を指します。この詩はその月を題にしております。

  生涯に七十回を上回る合戦場に臨み、大きな戦いでは一度も敗けたことがなかったという驚異的な戦績を誇った謙信がもっとも苦戦した相手と言われるのが、一向一揆支配下の北陸でした。この詩はその北陸、能登国の覇権を懸けた畠山氏との合戦の陣中で詠まれたと伝わります。頼山陽(1781〜1832)の『日本外史』が記して後世に残りました。

    
1025鷺0104.jpg                                          23.10.25 東京都清瀬市

  はや地上には霜が置く秋の暮れ。冷え冷えと引き締まった夜の気配。空には雁の列が一筋二筋。夜は更けて静かです。十三夜の月は満月に完成する前の若い月。初々しくいかにも謙信の好みそうな清潔な光を放っています。
  「三更」は夜の時間を五つに区分する中国の習慣に基く呼び名で、夜の始まりから数えて早い時刻から一更、二更と使います。三更はその真ん中、夜半(よなか・よは)の時間帯を言います。陰暦十三夜の標準的な月の出はおよそ十六時半。月の入りまでは約十時間あまり。夜中の十二時にはその夜の軌道の半ばを過ぎますが、まだ地平には近づかない中空(なかぞら)に浮かんだ状態にあるでしょう。五更になると月はもう沈んで見えなくなるかもしれない時期です。

  第三句と四句は遠征の地での思いを述べます。
  越中・越後はすでに手中にし、北陸路を都に向かって遡上して、今は越前能登国までを得て見るこの景色です。「三更」の時分であれば、この視界にある「能州の景」は、中天を過ぎて傾く十三夜の月が注ぐ清光に照らされて、静かに沈む夜景です。もちろん風景の具(つぶ)さが問題になる場面ではありません。眼に入る「景」は、ついにここ能登までを制覇するのだという感慨を映す鏡です。前年も同じ七尾城を前に、攻めきれず撤退していました。
  第四句は倒置文で、主語は「家郷(故郷越後の人々)」。〔越後の家族が出征した謙信の身を気遣っている、そのことは「遮莫」〕というのが本来の語順です。「遮莫」は習慣として「さもあらばあれ」と訓みます。「さもあらばあれ」は直訳すれば「そうならばそうでよい」と言うこと。お構いなし、知ったことではない、といった意味あいになります。「今頃故郷では、出征したこの身を案じているであろうが、そんなことはどうでもよい、放っておけ」 そうして詩人は月光の下に佇立しています。「ああ、月が美しい」という言葉を呑んで。

    
1030山茶花1462.jpg                                      山茶花 23.10.30 東京都清瀬市

  常勝謙信の軍勢とはいえ戦場に向かう人々を気遣わないはずはありません。十三夜の月を仰いで、故郷の人はさぞかしこちらのことを案じているだろう。と、そのように、謙信も遠く故郷に待つ人に思いを馳せているのです。月の光は、なぜでしょう、人の心を遠い場所、遠い人、懐かしいものに誘います。時には時間を遡ってさえ。

  詩に月を形容する言葉は特には見えません。しかし、故郷の人がこの夜に遠征地のわが身を思いやっているだろうと述べて、謙信が思わず自分の心も故郷にあることを明かす時、私たちは佇む謙信に注ぐ月光を詩の中に見取ります。能登にも越後にも、いずこにも照っているであろうこの夜の月の存在に思いが至ります。この詩の主役は題にあるとおり、やはり月なのです。

    
1029林檎0907.jpg                                 返り咲きの姫林檎 23.9.25 東京都清瀬市

 この詩が詠まれたのは天正五年九月十三日のこと。能登国の拠点にして堅牢な山城として名高い七尾城攻めの陣中の作です。 『日本外史』(巻十一武田氏・上杉氏)の記述は、城を落とした後、月下の酒宴において詠んだものとします。後の考証によれば、戦況は限りなく有利であったとはいえ、まだ戦中と言うべき時期であったようです。

    
1026林檎0202.jpg                                      姫林檎 23.10.26 東京都清瀬市

  戦国大名上杉謙信(1530〜1578)は越後の人。本姓長尾氏。室町幕府の要職であった関東管領上杉憲政から家督を譲られ、のちは上杉を名乗ります。

  天才的な武人は、戦国武将というには一見似つかわしくないたしなみのある人でした。「源氏物語」をはじめとする王朝の物語文学を好んで読み、琵琶の演奏を趣味とし、上洛の折には公家衆に交わって歌会の席に列なりました。歌人として優れ、関白近衛稙家(このえたねいえ)から和歌の奥義を伝授されたと言います。佳作が多く残っています。

  一方、漢詩はこの「九月十三夜」のほか知られておりません。端正な佇まいに情感も深い ただ一作の詩は、あるいは謙信贔屓の頼山陽の添削ではないかとの憶測を呼び、さらには完全に別人の作であろうと見る人もいます。戦国武将の逸話を記した「常山紀談」(成立1770 湯浅常山)には同じ詩が違う言葉で採られていることなども、添削説、また後世の創作説を導くようです。

  戦場では軍神が憑依すると畏れられる一方、仏教に深く帰依し、義に厚く、欲の薄い変人、奇行が多かったと伝わる謙信、実は女性であったという説まであります。まつわる謎は多く、この詩作を廻っても検証は困難です。

    
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