第78回 誰言春色従東到:春は何処から
第78回【目次】
* 漢詩 題大庾嶺画
* 漢文 春生逐地形序
* 漢詩 寒梅結早花
* みやとひたち ねこの月猫
* みやとひたち 節分猫
* みやとひたち 寒中猫日乗
25.2.3 東京都清瀬市
誰言春色従東到
露暖南枝花始開
『和漢朗詠集』92「春」梅 菅三品(菅原文時)
誰(たれ)か言ふ 春の色の東(ひんがし)より到ると
露暖かにして 南枝(なんし)に花始めて開く
25.2.3 東京都清瀬市
詩は菅三品(かんさんぼん)菅原文時(899〜981:菅原道真の孫)の七言絶句「題大庾嶺画(たいゆうれいのがにだいす)」から後半の二句です。詩全体は漢詩(文例)のページに挙げてあります。
誰が言ったのだろう 春の気配は東から訪れると
陽の光に露も暖められて 南の枝から花は咲き始めた
25.2.3 東京都清瀬市
中国には古代の神話や陰陽五行説をもとに、季節と四方位、またそれぞれを象徴する色の、決まった組み合わせがあります。
春の方位は東で色は青、夏は南、色は赤(朱)、秋は西で白、冬は北で黒(玄)、というわけです。我が国で春風を呼ぶ名に「こち」と言う言葉があり、それに「東風」という字を当てるのは、このように春の風は東風であるという中国文学の決まり事に由来します。皇太子を意味する言葉に「とうぐう」があり、その表記に「東宮」と「春宮」の二つがあるのもこれに拠ります。つまり、「春」と「東」の組み合わせは決まり事であって、時には同じ意味として両者は入れ替え可能で用いられたりもするというわけです。
この詩において「春は東から」とするのも伝統的な「春」と「東」との関係を言うものです。
25.2.23 東京都清瀬市
博識の大江匡房(おおえのまさふさ 1041〜1111)からの聞書き集と伝わる説話集『江談抄(ごうだんしょう)』に記事があり、この詩が村上天皇の天暦年間に「内裏坤元録屏風」に詠まれた作であること、つまり実景ではなく絵画を詠んだ詩であることが知られます。この屏風は中国の名所を集め描いたもので、絵ごとにその地に因んだ詩が添えられました。
この詩が詠む大庾嶺(たいゆうれい、だいゆれい)は大陸中国の南部を東西に伸びる南嶺山脈を形成する五つの山嶺の中の、最も東に位置する嶺です。南嶺山脈は自然の険しい境界をなして、華北の文明や政治的支配が華南に及ぶことの妨げとなっていました。唐代の賢相 張九齢(ちょうきゅうれい 678〜740)が大庾嶺を切り開いて道を整えてから、ようやく嶺南地域の開発は進展を見せ始めました。整備した通行路に梅を植えたこと(梅関古道)から、大庾嶺は後には梅嶺とも呼ばれる梅の名所になりました。従って、ここで「南枝花始開」と詠まれる「花」は、特に断るまでもなく梅花を指しています。
張九齢は清廉を謳われた人で、玄宗皇帝の治世下、あの白楽天の「長恨歌」の題材になった楊貴妃一族の専横やそれに乗じた安録山の野心に対峙し、皇帝に諫言した人としても知られます。
25.2.23 東京都清瀬市
春は東から廻って来るというのが決まり事です。しかし実際はまず南側の枝から花は開き始める。春は南から来ているではないか、とするのは絵画に詠むものとは言え写実的で、暖かな陽の光の現実感があります。今も昔も、梅の開花は待ちわびる春の到来そのものに等しく、人がとりわけ心ときめかせる出来事なのに違いありません。
梅にジョウビタキ 25.2.23 東京都清瀬市