第20回 薔薇を歌う :初夏の招待状
* 漢詩
* みやとひたち
23.5.21 東京都清瀬市
甕頭竹葉經春熟
階底薔薇入夏開
甕(もたひ)の頭(ほとり)の竹葉は 春を経て熟し
階(はし)の底(もと)の薔薇は 夏に入りて開く
19.5.20 埼玉県所沢市西武球場
詩は白居易の七言律詩の冒頭の二句。『和漢朗詠集』でもお馴染みの句です。
薔薇の美しい季節になりました。早々とやって来た梅雨は今年の薔薇には迷惑ですが、濡れてなお季節の息吹を十分に伝えてくれる存在感です。このたびは薔薇を詠んだ詩を御紹介します。
「竹葉」とは酒の別名です。醸造する時、中に竹の葉を入れると澄んできた酒が清らかに見えることからそのように呼ぶ習わしとなったといいます。
去年の冬から醸してきた瓶の酒は、春を越してほどよく熟し、
階下の薔薇は、夏が来て咲きだした。
移り変わる季節を美しい素材で端的に表した佳句です。この詩は『和漢朗詠集』はもちろんのこと、平安中期の和文の黄金時代に、『源氏物語』『栄花物語』をはじめとするさまざまな作品の中にも引かれ、平安貴族の傾倒がよく伝わっています。
さて、この二句を含む原詩の題は、
薔薇正開、春酒初熟、因招劉十九・張大夫・崔二十四同飲
[薔薇正に開き、春酒(しゆんしゆ)初めて熟す、因(よ)りて劉十九
(りうじふく)、張大夫(ちやうたいふ)、崔二十四(さいにじふし)
を招きて同(とも)に飲(いん)す]
と、人名をまじえた実に長いものです。漢詩には珍しくはありませんが。
題に明らかなように、そもそもこの原詩が、風流をともにする気の置けない仲間を招く招待状であったことも、文人気質の貴族たちには心を寄せやすいものだったのでしょう。詩の前半は、時期が来て酒が仕上がったことを告げ、あとはもっぱら赤い薔薇の花盛りを歌い、後半第五句からは来訪を誘います。 "よかったら、朝の薔薇見て一杯やらないか"。(文例のページに全文を挙げています)。
試みに詩句を将(も)て 相(あひ)招去(せうきよ)せば
倘(も)し風情有らば 或いは来たるべし
明日(みやうにち)早花(さうか) 応(まさ)に更に好かるべし
心に期す 同(とも)に卯時(ばうじ)の杯に酔はんことを
「卯時」は卯の時、午前六時頃のことです。"明日、早い花はきっと一層好いだろう"。この「早花」はすでに律詩の第三句、四句に満開を歌っていることを見れば、一日の時刻の早い頃を指すものと思われます。午前六時という時刻も詩に見えております。"夜明かしで飲んで、夜明けのすてきな薔薇を見ようよ"ということではないかとも想像します。
23.5.14 東京都清瀬市
形の上では薔薇のお花見の誘いです。こうして春はもちろん桜、その前には梅、夏にかけて藤、牡丹・芍薬、そして薔薇と、折々の季節を彩る自然をともに楽しもうと、花や自然にこと寄せて人を誘うのですが、もちろん真意は「あなたに会いたい」ということにほかなりません。
19.5.20 埼玉県所沢市西武球場
我が国の詩も、漢詩の習慣に倣うまでもなく、こうした誘い方は古代の『万葉集』歌からやはり同じです。同じ東アジアの国で近くに位置し、長い付き合いの歴史を持ちながら、その性質において、違った強い個性を折々感じる中国と、このように美しい花や自然に心を託し、自然の上に人と感情の共有を図ろうとする習慣が、同じように通じていることにほっとします。本当にわかりあえるところを最大限に生かして交際するのが良いですね。
19.5.20 埼玉県所沢市西武球場
御一緒に花を見ましょう、月を見ましょうと、素直に誘うもののほか、会いたい気持ちを「会いたい」と直接表現せずに別の形で伝えるのもコミュニケーションの技術であり、そこに工夫を見るのは楽しみでもありました。中国でも日本においてもです。ことに、会いたくても「会いたい」と言いにくい時、たとえば喧嘩のあとなどに、こんな歌もありました。
我こそは憎くもあらめ 我が屋外(やど)の 花橘を見には来じとや
『万葉集』1990
これも初夏のうたですね。「私のことは嫌いでしょうけど、庭に花橘が咲きました。とってもきれい。だから花を見に来ませんか」女性の歌です。なかなか巧みな仲直りでしょう。
19.5.20 埼玉県所沢市西武球場
和製の薔薇の詩としては、平安中期の源時綱の作「賦薔薇[薔薇を賦(ふ)す]」を文例のページに挙げました。夏の花として、他とはくらべものにならないとする薔薇讃歌ですが、冒頭は
薔薇一種當階綻
「薔薇(しやうび)一種(いつしゆ)
階(きざはし)に当たりて綻(ほころ)ぶ」
これも、白居易のこの「階底薔薇入夏開」句が底にあることは明らかです。