2012年5月11日

第61回 首夏:暁涼暮涼樹如蓋 立夏を過ぎて


第61回【目次】         
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    * 漢詩

    * みやとひたち



      
0430菖蒲7927.jpg                                       菖蒲 24.4.30 東京都清瀬市


  五月五日が二十四節気の「立夏」でした。暦の季節ははっきりと夏になりました。

  季節の変わり目にとりわけ注意深い私たちの先達が、立春や立秋を題材として残している膨大な詩歌の量に較べると、立夏の時期をテーマにした作は多くありません。やはり春と秋とが特別に愛され、待たれたからでもありましょう。そして、春と秋とがかくも待たれた理由の根源には、その前の季節の厳しさもあったに違いありません。冬は凍てつく寒さ、一方夏は亜熱帯の気候という激しさです。その過ごしにくい気象が移り、自然に明るい温かい春になること、また爽涼な秋になることは、四季を受け容れて生きる日本人にとっては、現代にあってもまさに天恵と感じられる出来事です。

     
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                                           24.5.5 東京都清瀬市

  夏はそのように、実はまことに厳しく過ごしにくい季節であるといえますが、この始まりである現在、初夏のひとときは、さまざまな木々の緑は鮮やかに、森の下草には清楚な優しい花が咲き乱れる、一年の中でも際立った美しい季節であると思います。

  その初夏を、このたびは久しぶりに日本の四季を離れ、海を渡って唐代の李賀(りが 791〜817)の作で御紹介します。

     
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                                           24.5.5 東京都清瀬市


     暁涼暮涼樹如蓋
     千山濃緑生雲外
     依微香雨靑氛氳
     膩葉蟠花照曲門
     金塘閑水搖碧漪
     老景沈重無驚飛
     墮紅殘萼暗参差

     暁に涼しく暮に涼しく 樹は蓋(がい)の如し
     千山(せんざん)の濃緑(のうりょく) 雲外(うんがい)に生ず
     依微(いび)たる香雨(こうう) 青(せい)氛氳(ふんうん)たり
     膩葉(じよう)蟠花(ばんか) 曲門(きょくもん)を照らす
     金塘(きんとう)の閑水(かんすい) 碧漪(へきい)揺れ
     老景(ろうけい)沈重(ちんじゅう)にして 驚飛(きょうひ)する無く
     堕紅(だこう)残萼(ざんがく) 暗(あん)に参差(しんし)たり


     ※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
       歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。

      
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  詩は『河南府詩十二月楽辞、幷閏月』から「四月」です。中国華北の陰暦四月、夏の初めを歌います。

  この詩は珍しいことに全部で七句と奇数句で構成されています。近体詩の枠には入らない、七言古詩です。

      
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                                          24.5.5 東京都清瀬市

  「暁に涼しく暮に涼しく」とは、日中がすでに暑気を帯びていることを暗示するでしょう。
  森の樹木は繁り、高いところで空を覆って天蓋のよう。四方の山々は緑を深くして、雲の彼方にそびえている。

  細かな香(かぐわ)しい雨が来ると、繁り合う緑の気は一層盛んにあたりに立ちこめる。

  「膩葉(じよう)」は艶のある厚い葉。「蟠花(ばんか)」はびっしりと詰まった様子で咲く花。咲き集まっている様子でしょう。植物とはいえ実に濃い生命力です。

  「塘(とう)」は池や堤。「金」は美しいの意味の冠詞です。美しい堤の閑(しず)かな水面に碧(みどり)のさざ波が揺れる。周辺の緑葉を映すので、水面は鮮やかなエメラルドの碧です。初夏らしい水の豪華です。

  「老景沈重にして驚飛する無く」の句は、辺りの景色がすっかり落ち着いた夏のものであることを感じさせます。「驚飛する無く」は、騒がしく飛散する花びらもないことを言い、賑やかな花々の季節すなわち春、とはまったく違う季節が到ったことを具体的に述べています。 
  
  最後の句は、「驚飛する」のではなく静かに散り堕(お)ちた真紅の花と萼とが、木の下の暗がりに入り交じっている景色を写します。奇才李賀らしい、妖かしの世界の入り口がほの見える、何とも魅惑的な薄暗がりです。

      
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                                          24.5.5 東京都清瀬市

  晴天でもそこが暗いのは、空を覆う「蓋」となって繁る木々の緑のせいです。日本にも「木(こ)の下暗がりゆく」という古典的な表現があります。木々が盛んに繁って光を遮り、木の根方を暗くしてゆくという表現です。

  この「木の下暗がりゆく」は、多くは陰暦五月の景色として描かれます。日本は、暦も二十四節気も中国で使っていたものを輸入してそのまま用いました。その暦は、本来日本より約一ヶ月季節が早く来る中国の華北地方の気候に合わせて作られた体系です。従って、李賀の「(陰暦)四月」が我が国の五月闇の頃と似た趣をただよわせるのは当然のこととは言えます。

      
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                                   クラブアップル 24.5.5 東京都清瀬市

  同様の事情で、私たちが立夏を過ごし、初夏を迎えたと思っているこの季節より、中国の華北の「初夏」は実はもっとはっきりした「夏」なのでしょう。もともと私たちが知るのより濃い初夏を、奇才李賀が歌うと、このような暗がりも魅力的な濃密な詩になるのでしょうか。

      
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                                           24.5.5 東京都清瀬市


     

 



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