2012年6月16日

第65回 雲消碧落天膚解:梅雨の晴れ間


第65回【目次】         
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    * 漢詩

    * みやとひたち


 
    
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     雲消碧落天膚解
     風動清漪水面皴

    雲(くも)碧落(へきらく)に消えて 天膚(はだえ)解く
    風清漪(せいい)を動(ゆる)かして 水の面(おもて)皴(しわ)めり

                       『和漢朗詠集』下「晴」412

        ※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
       歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。

    
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  詩は平安時代前期の都良香(みやこのよしか 834〜879)の「梅雨(ばいう)新たに霽(は)る」詩からの二句です。梅雨の晴れ間を詠んだ詩です。


  都良香の作品は『都氏文集』として残っていますが、もと六巻であったもののうち現存しているのは三巻です。本詩は『和漢朗詠集』下巻の「晴」の部に採られ、『和漢朗詠集私註』にこの題が記録されて伝わりましたが、典拠となる作品そのものは現存する三巻の中にはありません。従って、この二句を含む詩の全体を見ることが出来ないのは残念です。詩形もわかりません。

    
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  題にある「霽」は訓読みは「は」る。空模様について言う時は、雨が上がるの意味に多く用います。雨が"晴れる"、という、あの"「は」る"ですね。「霽月(せいげつ)」という熟語も以前御紹介したことがありました。雨が上がってすっきり晴れた空に掛かる月のことでしたね。ほかには霧や霞がはれること、心中のモヤモヤが晴れてすっきりするの意味にも使います。

  空を覆っている雲が、この日はすっかり空の果てに消えてなくなり、天はむき出しの青空です。

  青空の下、乾いた風が起こり、池を吹くと、その水面に美しいさざ波を動かします。水面はこの梅雨時の日頃は雨を受けて煙るようであります。この日はそれがどこまでも明らかに、波紋の筋も一筋一筋がくっきり見えます。

    
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  漢詩は対比の構造を好みます。この二句でも天と地(池の水面)、雨の日の天空と、この日、晴天の日の地上(池の水面)とを取り上げ、組み合わせて歌っています。

  梅雨の日の天上、雲を皮膚と譬えたのに合わせて、晴れたこの日の水面を人の膚に見立て、波紋を皺と譬えています。一見奇妙な比喩ですが、漢詩のことですから中国に何らかの出典があるのかも知れません。狭い見聞ではまだそれと分かるものが見つかりません。ただ、この詩句そのものでも、梅雨時の日常の鬱陶しさに対して、曇りが取れたような視界の明るさは十分に伝わり、いかにも梅雨の晴れ間の景色と見て取れます。

  明るい空、明澄な視界。天気さえ好ければ日差しはもう鮮やかな夏の光です。思えば、梅雨の晴れ間とは、間近に来る盛んな夏の日の予告篇のようなものですね。

    
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                                            24.6.10 東京都清瀬市

  作者都良香(みやこのよしか 834〜879)は平安時代の前期の官人です。歴史や文物の知識にも秀で、文章博士として文筆をもって朝廷に仕えた人です。
  ことに漢詩人としての評価は高く、漢詩にまつわる逸話が多く残っています。

  鎌倉時代に書かれた説話集『十訓抄』には鬼神と詩歌で交信した良香の逸話が見えます。

  良香が羅城門を通り過ぎる時、「気霽(は)れては 風新柳の髪を梳(けづ)る」と詠むと、その詩に感じて、羅城門に棲む鬼神がそれに一句を継いで詠んだ。「氷消えては 波旧苔(きゅうたい)の鬚(びん)を洗ふ」と。

    
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                                            24.6.10 東京都清瀬市

  羅城門には鬼が棲むとは都に長く続いた言い伝えです。羅城門の鬼はこの時代の後、御物(ぎょぶつ)の琵琶を楼上で奏でているのを源博雅(918〜980)に知られ、博雅に琵琶を返したという話が『今昔物語』にありました。

  人に非(あら)ぬ異界の魔物とはいえ、詩を好み、音楽を愛す。多能な鬼の一面にはまことに優雅な性質も備えており、それが一層の脅威でもあります。『十訓抄』の記述に拠ると、後に渡辺綱に腕を切られたのがこの同じ鬼ではないか、と荒々しい話が付け加えられております。

    
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  漢詩作者として今までに御紹介して参りました小野篁(第36回)、菅原道真(第34回みや第41回)もそうでしたが、この都良香もまた、異界と関わるエピソードの多い人です。平安前期、畏敬の対象となるほどの才能は、ある種人間離れした恐ろしいものとして、このような伝説を生み出しやすかったのかも知れません。次回はこの都良香の文を御紹介します。

    
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                                            24.6.10 東京都清瀬市





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