第69回 夏雲擘絮月斜明:神田川河畔の納涼
第69回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち 真夏日猫
* みやとひたち 霊迎え猫
24.8.5 東京都清瀬市
夏雲擘絮月斜明
細葛含風歩歩軽
数点篝灯橋外市
籠虫一担売秋声
夏雲(かうん)絮(わた)を擘(つんざ)いて月斜(なな)めに明らかなり
細葛(さいかつ)風を含んで歩歩(ほほ)軽(かろ)し
数点の篝灯(こうとう)橋外(きょうがい)の市
籠虫(ろうちゅう)一担(いったん)秋声(しゅうせい)を売る
※細葛(さいかつ):薄い帷子。ここでは夏物の薄い生地の着物
籠虫(ろうちゆう)一担(いつたん):ひと担ぎ(分)の籠に入った鈴虫。
虫売りの様子。
小さな籠に鈴虫を入れ、籠ごと売る。
その虫籠を担いで売り歩く虫売りという商売があった。
豊国画 「虫売り」
(第29回 夏日睡起:虫の音の涼)
※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
詩は野田笛浦(のだ てきほ 1799〜1859)の七言絶句「昌平橋納涼(しょうへいばしのうりょう)」です。
夕暮れ、空はまだ青く明るく、くっきり白い雲が綿を裂いたように薄くなった、その裂け目から、夕月が静かな光を投げかけている。
そんな頃合い、薄い単衣に川風をはらませて軽やかに歩を運ぶ人、輝きを増してくる篝火の色。夜の市の賑わいに風情を添える鈴虫の声。事柄を淡々と並べて涼やかな一篇です。
19.10月 東京都清瀬市
この日は陰暦の暦(こよみ)の月の上旬。暮れる前の空にすでに月が見えていることからわかります。この夕暮れの月は月の呼び名でいうところの「夕月夜(ゆうづくよ)」。細い上弦の月で、出が早く、夜中には沈んで見えなくなります。従って夜明けの空にはないので、「暁闇(あかときやみ)」という言葉の枕詞になったりもします。
陰暦の暦は閏月(うるうづき)を挟むため、日付は年によってかなり大きく前後するのですが、参考までに今年平成24年の8月のカレンダーを陰暦に変換して見ると、18日が陰暦の7月1日になります。その日が新月で、現行暦8月20日が陰暦7月3日、この夜の月がいわゆる三日月です。夕月、また夕月夜はこの夜の月も含めて陰暦の7日(現行暦の8月24日)頃までの上弦の月の総称です。
24.8.10 東京都清瀬市
「昌平橋納涼」詩と同じ夕月夜を見ることを試みるとして、今年なら8月20日過ぎからの数日間には、これに近い夕暮れを見ることはできるでしょう。ちなみに、陰暦の月の下旬、つまり満月のあとにも晦(つごもり)に到る月の細い時期がありますが、その月は夜中にならないと姿を見せず、下弦の月になりますから、この詩に見える夕月夜とは全く違った光景になります。日の高さや月の光、暑さ寒さはもちろん気候の微妙な様相を知ることは、古典を実感をもって受け取るよすがになります。
24.8.10 東京都清瀬市
詩にある昌平橋は現在も神田川を跨いで千代田区外神田と神田須田町を繋いでいます。架設は寛永年間(1624〜1643)のことと伝わり、古地図などの記載を見ると、古くは「一口(いもあらい)橋」とも、また「相生橋」とも言われた時期があったようです。「昌平橋」の名はもちろん昌平黌の「昌平」と同じ、孔子の生まれた魯の地名にちなんだものです。元禄四年(1691)徳川五代将軍綱吉が湯島聖堂(孔子を祀る)を建立した際に改めて付けられた名前だということです。その後一時期違う名称で呼ばれた時もあったようですが、明治の後期からは再び昌平橋に戻って今日に至ります。
神田川は東京都三鷹市の井の頭池(井の頭公園内)を水源として、台東区、中央区と流れて両国橋袂で隅田川と合流します。都市を流れるその全長約25kmに、現在架かっている橋は120近くにものぼります。東京も案外水の街の一面を持っているのだったと思い当たったことでした。
24.8.5 東京都清瀬市
作者野田笛浦(のだ てきほ 1799〜1859)、名は逸(いつ)、字(あざな)は子明(しめい)、通称希一。
斎藤拙堂、篠崎小竹、坂井虎山とともに幕末のその時期、文章四名家と称された漢学者でした。詩もよくし、家集を残しています。清(しん)国の人との筆談録を中心に著した『得泰船筆語』は評判になりました。
24.8.9 東京都清瀬市