2011年11月12日

第39回 落葉:枝を透く月の光 後中書王具平親王

第39回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




      
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    逐夜光多呉苑月
    毎朝声少漢林風

      夜(よ)を逐(お)ひて光多(おお)し呉苑(ごえん)の月
      朝(あした)ごとに声(こえ)少(すくな)し漢林(かんりん)の風

       ※( )内の表記は現代仮名遣い

    
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  詩は平安時代中期、一条朝の後中書王具平親王(ごちゅうじょおう ともひらしんのう 964〜1009)の「秋葉随日落(秋葉 日に随ひて落つ)」から。きれいに整った七言の対句です。

  木々の落葉が進む晩秋の景を詠んでいます。「呉苑」は戦国時代の呉の庭園 長洲苑、「漢林」は漢の武帝が作った庭園上林苑を言います。どちらも後世の漢詩に美しい景色の例に引かれ、比喩の定型になっています。ここでも、もはや具体的な長洲苑、上林苑である必要はなく、景勝・美観を示唆する装飾的な修辞として用いられています。

     落葉するにつれ 夜ごとに木々の枝を透く月の光は明るさを増し
     葉を少なくして 朝を迎えるごとに梢を渡る風の声はささやかになりゆく

  木の葉が散って冬枯れに向かう頃、地上の草木は寂しくなりますが、一方で葉もまばらな梢を月光はすがやかに射し通るようになり、木々は音を立てなくなります。地に光は増え、風は鎮まり、気は冷えゆき、やがて天の存在ばかりが近く感じられる静謐の冬に至ります。
  既成の古典を引き、一見形式的な型どおりの対句表現でしかないように見えて、歌われているのは五官に沁みるみずみずしい季節の情感です。

   
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  この晩秋から冬の落葉した木々を歌って、日月の光が枝を透くという景色を詠むものには印象的に美しい詩歌がいくつもあります。むしろ季節はやや春に寄りますが、伊東静雄の「春の雪」の一節、「みささぎにふる はるの雪 枝透(す)きて あかるき木々に つもるとも えせぬけはひは」の気品高い詩の言葉を思い浮かべる人も多いことでしょう。「春の雪」詩も今回の対句も、歌われる静かな寂しい晩秋あるいは冬の景観が、視覚的には明るさを持っているということが、この言い知れぬ抒情の根幹に関わっていると思われます。長調で奏でられる悲歌がとりわけ心に沁みるのに似て。


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  このたび御紹介した対句は藤原公任の『和漢朗詠集』巻上、秋の「落葉」(312)に収録されています。『和漢朗詠集私註』にこの対句の典拠として詩題「秋葉随日落」が見えますが、「秋葉随日落」詩は現在所在がわかっておりません。かつては人も尋ね見ることができたのでしょうが、やがて紛れ、後世には伝えられなかった詩であるようです。この美しい対句が息づく詩全体を見ることができないのはまことに残念です。

   
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  作者具平親王(964〜1009)は村上天皇の第七皇子。律令制度上もっとも重い省と言える中務省の長官(中務卿 なかつかさのかみ)を務めました。この任には身分の高い親王が就くのが習わしで、ふさわしい人物がいない時は空席のままになる官です。中書王(ちゅうじょおう)の呼び名は中務省の唐名である中書省にちなんだものです。少し前の時代にやはり中務卿であった醍醐天皇皇子兼明親王(914〜987)を前中書王と呼び、この具平親王を後中書王と呼び分けます。

  時は一条天皇の御代。中宮定子(藤原道隆女)に『枕草子』の清少納言が仕え、彰子(藤原道長女)には『源氏物語』の紫式部が仕え、和泉式部が 歌を詠み、赤染衛門が初めての歴史物語を書き、行成が能筆を揮っていたという国風文化の最盛期です。多能を謳われた藤原公任の『和漢朗詠集』もその精華の ひとつと言えます。『和漢朗詠集』は古くは万葉の歌人から詩歌を求めています。その中での具平親王は最も新しい"現代"の人として加えられた詩人のひとりです。

    
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  その華々しい一条朝の才能の中にあって、具平親王は詩歌、陰陽、書、管絃など諸芸に優れ、文壇の中心をなした人物です。また信仰に厚く、仏教解説書『弘決外典抄(ぐけつげてんしょう)』なども残しています。清少納言や紫式部の憧れの人であり、尊崇の対象であったらしいことが作品に伺われます。四十六年の生涯は長いとは言えませんが、中古漢文の重要文献『本朝文粋』や勅撰和歌集に作品を残し、活発な文学活動が知られる具平親王には、おそらく今日残っているもののほかにももてはやされた作品は多かったものと思われます。公任の『和漢朗詠集』はその具平親王の作品を、評価が定まる以前に、リアルタイムに取り込むことができたために、結果として、後世に残ることになる代表作とは違う佳作をここに留めることになったのです。

    
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