2011年5月 4日

第18回 立夏 首夏:幕末のある日、春を餞(おくる)

第18回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




      
     
4藤5042.jpg                                         23.5.4 東京都清瀬市

     時掃晴窗手磨墨
     綠陰坐改餞春詩
    
      時に晴窓を掃ひて手づから墨を磨(ま)し
      緑陰(りよくいん)坐(そぞ)ろに改む餞春の詩


    
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                           23.5.8 東京都清瀬市  

  今年は春を春と楽しむ間もなく時が過ぎ、この5月6日には、はや二十四節気の「立夏(りっか)」を迎えました。今回は春を送る詩を、久しぶりに平安時代を離れて、近世江戸時代の漢詩から御紹介します。

  詩は賴支峰(らいしほう 1823〜1889)の七言律詩「夏意(かい)」の最後の二句です。文例のページに全文を挙げました。

    
8日IMG_2071.jpg                            23.5.8 東京都清瀬市  

  詩は春の終わり、夏の初めの様子を、のどかに暮らす作者がその住まいで見る庭の荷(はす)の若い葉、残鶯(晩春から初夏にかけて鳴く鶯)、新筍、さっと降りかかる微かな雨、穏やかな南風、と挙げて、最後にここに挙げた二句で結びます。

    時に明るい窓辺に向かって手づから墨を磨(す)り
    緑の葉陰に 何ということもなく 春を餞(おく)る詩を改める

  「餞春」の「餞」は、はなむけしておくる意。行く春を惜しみ、春のために詩をものすというもの。結びの句にある「改む」は、詩を推敲する動作と解釈するのが適当と思われます。花が済んで緑が鮮やかになる頃、初夏の大気にさらりと投げられた抒情が心地よい詩です。

    
8日IMG_2084.jpg                            23.5.8 東京都清瀬市  

  賴支峰は幕末の京都の人、名は復、字は士剛、通称又次郎。父は異才頼山陽(1781〜1832)です。頼山陽には先に結婚した妻との間に長男聿庵(いつあん 1801〜1856)があり、後妻との間にこの支峰と、安政の大獄で斬首になった頼三樹三郎(1825〜1859)がいます。父山陽が亡くなった時、わずか10歳だった支峰は、一時期は異腹の長兄聿庵に育てられた時期もあったようです。

    
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                            23.5.1 埼玉県所沢市  

  三人の息子はそれぞれ父を継いで学問を業とし、おそらくそれぞれの人柄に合った学者の運命を生きたのでしょう。次男の支峰は比較的穏やかな生涯に、少なくとも外からは見えます。遷都の折、天皇に随行して東京に移り、昌平学校教授などに任じられましたが、間もなく辞任して京都に帰り、悠々自適の中で父山陽の大著「日本外史」に注釈を施すなどして晩年を送りました。

    
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