第15回 一開雨 一散風:空海 無常と対峙して
第15回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
23.4.11 東京都清瀬市
君不見
君不見
京城御苑桃李紅
灼灼芬芬顔色同
一開雨
一散風
飄上飄下落園中
春女群來一手折
春鶯翔集啄飛空
君見ずや
君見ずや
京城(けいじやう)の御苑(ぎよゑん)
桃李(たうり)紅(くれなゐ)にして
灼灼(しやくしやく)芬芬(ふんぷん)として顔色同じきを
一(ひと)たび雨に開き
一(ひと)たび風に散る
上に飄(ひるがへ)り下に飄りて園中に落つ
春女群り来たりて一たび手(た)折(を)り
春鶯(しゆんあう)翔り集ひ啄(ついば)んで空に飛ぶ
山桜 23.4.14 東京都清瀬市
詩は空海の「入山興(山に入る興)」(『性霊集』所収)から、その一部です。題にある「山」は霊峰高野山です。
空海は大同元年(806)唐から帰朝ののち、唐で学んだ新知識を背景に、一宗教領域に留まらずさまざまな分野にわたって社会に関わりながら密教の布教に努めて、嵯峨天皇の深い帰依を得ました。その結果、弘仁7年(816)に、若い時期に空海が修行した高野山に、真言宗の根本道場を開く勅許(天皇による許可)を得るに到りました。今日も真言宗の総本山となっている高野山金剛峯寺の始まりです。
23.4.15 東京都清瀬市
題に言う「入山」は直接には修行の地として決めた山に入ることですが、転じて、厳しい修行の生活に入ること、またその決心をして行動に移すことを示唆する言葉に使われました。この詩ももちろん、山中への引っ越しを詠むのではなく、法(宗教)の教えを学ぶこと、修行することを勧めるための「入山」を詠んでいます。たいへん長い詩なので、文例にも全部ではなく、ここを含む周辺を拡げた範囲で御紹介しています。全文を御覧になりたい方は、空海の漢詩集『性霊集(しょうりょうしゅう)』でお探し下さい。
23.4.15 東京都清瀬市
「入山興」詩は、ある人が修行者(詩作者=空海)に山に入る理由を問うところから始まります。
「険しい高野山は登るにも苦しく、下りるにも難しい。人里離れた霊山は(人を阻んで)山の神が支配し、精霊が根城にしているというのに」
それに答える形で、それでも山に分け入る理由、すなわち仏道の修行に没頭する意義を説くのがこの詩全体の内容です。
この詩で空海が「迷わず、急いで、ともかく道を一心に学べ(山に入れ)」と勧めるのは、この世の「無常」に対峙するためでした。
花海棠 23.4.11 東京都清瀬市
上に御紹介した部分は、詩の前半部で「無常」ということを述べるいくつかの例のひとつにあたります。
ご覧なさい
ご覧なさい
京の都の御苑では桃や李が紅の花を咲かせ
あでやかに香り高く一つの色に咲き誇っている
その花は雨に会えば開き
風に会えば散る
上にひらひら舞い 下にひらひら舞っては園の中に散り落ちる
春をめでる娘たちが群れをなしてやって来ては手折り
春を喜ぶ鶯たちが飛び来ては花を啄んで空に飛ぶ
美しい春の情景です。しかし咲き誇る花園の花も盛りはひと時。風に散り、人に折られ、鶯に啄まれ、また、そうでなくとも時とともに移ろうことを私たちは知っています。その分かりやすいはかなさを、空海は無常の一例に引いたのです。
花桃 23.4.15 埼玉県所沢市
花桃 23.4.11 埼玉県所沢市
無常とは常(つね)が無いこと。万物は変転して、決して同じ状態を保つことはなく、ここにあるものがあり続けることもありません。形あるものはかたちを変え、あったものは消滅するという法則です。
これを生き物のありように重ねれば、「老」であり「病(傷)」であり、また「死」であります。考えてみれば特別なことでもなく、全く自然の摂理ともいえます。移り変わる美しい季節の風情もいわば無常の一面なのですし、生き物の生病老死は当然の運命とも見えます。永久に散らない花はなく、死なない人はいません。
花海棠 23.4.11 東京都清瀬市
しかし私たちは、抗しがたい運命や自然の摂理とわかっていることでも、折々の困難や人との別れ、死の悲しみに心を痛めることをどうしようもありません。今年三月の大震災は、実はもともとあったこのあたりまえの無常を強烈な形で見せつけ、私たちはなす術のない悲しみを改めて思い知りました。
八重桜 23.4.17 東京都清瀬市
無常から逃げ出す手だてはありません。生身の人間は「老」「病」に苦しみ「死」を避けられないことを認めた上で、それと向き合って生きて行かなければなりません。そんな人間の傍らで、人の労りとなり、力となるのが真っ当な宗教に求められる役割なのかもしれません。空海の場合は「山に入れ」と勧めるのです。
山桜 23.4.14 東京都清瀬市
* 漢詩
* みやとひたち
23.4.11 東京都清瀬市
君不見
君不見
京城御苑桃李紅
灼灼芬芬顔色同
一開雨
一散風
飄上飄下落園中
春女群來一手折
春鶯翔集啄飛空
君見ずや
君見ずや
京城(けいじやう)の御苑(ぎよゑん)
桃李(たうり)紅(くれなゐ)にして
灼灼(しやくしやく)芬芬(ふんぷん)として顔色同じきを
一(ひと)たび雨に開き
一(ひと)たび風に散る
上に飄(ひるがへ)り下に飄りて園中に落つ
春女群り来たりて一たび手(た)折(を)り
春鶯(しゆんあう)翔り集ひ啄(ついば)んで空に飛ぶ
山桜 23.4.14 東京都清瀬市
詩は空海の「入山興(山に入る興)」(『性霊集』所収)から、その一部です。題にある「山」は霊峰高野山です。
空海は大同元年(806)唐から帰朝ののち、唐で学んだ新知識を背景に、一宗教領域に留まらずさまざまな分野にわたって社会に関わりながら密教の布教に努めて、嵯峨天皇の深い帰依を得ました。その結果、弘仁7年(816)に、若い時期に空海が修行した高野山に、真言宗の根本道場を開く勅許(天皇による許可)を得るに到りました。今日も真言宗の総本山となっている高野山金剛峯寺の始まりです。
23.4.15 東京都清瀬市
題に言う「入山」は直接には修行の地として決めた山に入ることですが、転じて、厳しい修行の生活に入ること、またその決心をして行動に移すことを示唆する言葉に使われました。この詩ももちろん、山中への引っ越しを詠むのではなく、法(宗教)の教えを学ぶこと、修行することを勧めるための「入山」を詠んでいます。たいへん長い詩なので、文例にも全部ではなく、ここを含む周辺を拡げた範囲で御紹介しています。全文を御覧になりたい方は、空海の漢詩集『性霊集(しょうりょうしゅう)』でお探し下さい。
23.4.15 東京都清瀬市
「入山興」詩は、ある人が修行者(詩作者=空海)に山に入る理由を問うところから始まります。
「険しい高野山は登るにも苦しく、下りるにも難しい。人里離れた霊山は(人を阻んで)山の神が支配し、精霊が根城にしているというのに」
それに答える形で、それでも山に分け入る理由、すなわち仏道の修行に没頭する意義を説くのがこの詩全体の内容です。
この詩で空海が「迷わず、急いで、ともかく道を一心に学べ(山に入れ)」と勧めるのは、この世の「無常」に対峙するためでした。
花海棠 23.4.11 東京都清瀬市
上に御紹介した部分は、詩の前半部で「無常」ということを述べるいくつかの例のひとつにあたります。
ご覧なさい
ご覧なさい
京の都の御苑では桃や李が紅の花を咲かせ
あでやかに香り高く一つの色に咲き誇っている
その花は雨に会えば開き
風に会えば散る
上にひらひら舞い 下にひらひら舞っては園の中に散り落ちる
春をめでる娘たちが群れをなしてやって来ては手折り
春を喜ぶ鶯たちが飛び来ては花を啄んで空に飛ぶ
美しい春の情景です。しかし咲き誇る花園の花も盛りはひと時。風に散り、人に折られ、鶯に啄まれ、また、そうでなくとも時とともに移ろうことを私たちは知っています。その分かりやすいはかなさを、空海は無常の一例に引いたのです。
花桃 23.4.15 埼玉県所沢市
花桃 23.4.11 埼玉県所沢市
無常とは常(つね)が無いこと。万物は変転して、決して同じ状態を保つことはなく、ここにあるものがあり続けることもありません。形あるものはかたちを変え、あったものは消滅するという法則です。
これを生き物のありように重ねれば、「老」であり「病(傷)」であり、また「死」であります。考えてみれば特別なことでもなく、全く自然の摂理ともいえます。移り変わる美しい季節の風情もいわば無常の一面なのですし、生き物の生病老死は当然の運命とも見えます。永久に散らない花はなく、死なない人はいません。
花海棠 23.4.11 東京都清瀬市
しかし私たちは、抗しがたい運命や自然の摂理とわかっていることでも、折々の困難や人との別れ、死の悲しみに心を痛めることをどうしようもありません。今年三月の大震災は、実はもともとあったこのあたりまえの無常を強烈な形で見せつけ、私たちはなす術のない悲しみを改めて思い知りました。
八重桜 23.4.17 東京都清瀬市
無常から逃げ出す手だてはありません。生身の人間は「老」「病」に苦しみ「死」を避けられないことを認めた上で、それと向き合って生きて行かなければなりません。そんな人間の傍らで、人の労りとなり、力となるのが真っ当な宗教に求められる役割なのかもしれません。空海の場合は「山に入れ」と勧めるのです。
山桜 23.4.14 東京都清瀬市