2011年11月18日

第40回 晩秋:過秋山 後中書王具平親王


第40回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




      
1120紅葉水3928.jpg                               23.11.20 東京都国分寺市日立中央研究所庭園

    林間尋路踏紅葉
    巌畔側身攀綠蘿
    三叫寒猿傾耳聽
    一行斜雁拂頭過
    長安日近望難辨
    碧落雲晴何可磨
    莫道登臨疲跋渉
    人間嶮岨甚山河
    
      林間(りんかん)に路(みち)を尋ねて紅葉を踏み
      巌畔(がんぱん)に身を側(そば)めて緑蘿(りょくら)を攀(よ)づ
      三叫(さんきょう)の寒猿(かんえん) 耳を傾(かたぶ)けて聴き
      一行(いっこう)の斜雁(しゃがん) 頭(こうべ)を払ひて過ぐ
      長安(ちょうあん)日近くして 望(のぞみ)辨(わか)ち難く
      碧落(へきらく)雲晴れて 何ぞ磨(す)るべけんや
      道(い)ふこと莫かれ 登臨(とうりん)は跋渉(ばっしょう)より疲ると
      人間(じんかん)の嶮岨(けんそ)なること山河(さんか)より甚だし

   ※( )内は現代仮名遣い
   

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                              23.11.20 東京都国分寺市日立中央研究所庭園


   ※巌畔:崖に沿った小径。崖っぷちの道。
   ※側身:身を側める。身を縮める。
   ※斜雁:雁の列。漢詩にはむしろ少ない表現。
       和歌に歌われる雁のイメージか。
   ※長安:都。ここでは平安京を指す。
       東晋の明帝の幼時に、長安と太陽の遠近を問われて長安は見えないが
       太陽は見えるので太陽が近いと答えたという故事などを踏まえる
      (『晋書』明帝紀)。
   ※碧落:大空
   ※人間:人の世。この世を生きること。
   

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                               23.11.20 東京都国分寺市日立中央研究所庭園

  「秋山(しゅうざん)」は本家中国でも季節の詩の定番テーマの一つです。遠くからの眺望ではなく、自ら山に入って詠むというのがこの類のスタイルのようです。日本の漢詩もこれを踏襲し、山中に分け入って山道を行きながら思いを述べるという想定で古くから詠まれました。この設定は和歌にも『万葉集』の頃からあります。『万葉集』などには本当に山歩きして詠んだに違いない素朴な歌が数々あり、そうした歌の系譜をそのままその後に引くものもありましょうが、平安朝の歌になりますと、案外こういった漢詩の影響もあるのかもしれません。
    

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                                        23.11.20 東京都清瀬市

  ここに御紹介するのは前回に引き続き後中書王具平親王の作。今回の詩は「過秋山(秋山を過ぐ)」。よく澄んだ朝、友と駒の手綱を連ねて山に行き、秋の山を廻って心が解き放たれる、と始まる十二句からなる七言詩の中の八句(第五句以降末句まで)です。詩の全体は文例のページで御覧下さい。
      

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                              23.11.20 東京都国分寺市日立中央研究所庭園


     木立の中を 路を尋ねつつ散り敷く紅葉を踏み、
     崖縁の道に 身を縮めて緑の蔦や葛にすがりつく。
     三たび叫ぶ猿の寒々とした声に耳を傾けて聴き入り、
     斜めに列をなして飛ぶ雁は、頭上をかすめて去って行く。
     日はすぐ近くに見えるが、都は遙か彼方にあって眺望は難しい。
     大空は雲が晴れて手も届きそうだが、触れるにはあまりにも高すぎる。
     山に登って眺めに臨むのは山河を渡り歩くより疲れるなどとは言うまい。
     人の世の険しいことは山河を行く比ではないのだ。

    
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                             23.11.20 東京都国分寺市日立中央研究所庭園

  対句が二つ。暮れかかる秋の様を、まず植物の赤や緑の色鮮やかを詠む視覚的な一対。細かく見れば紅葉を「踏み」緑蘿を「攀づ」のは足と手の動作の対でもあります。次は動物の対で、寒々と哀感のある猿の叫びと空の雁です。これも細かくは、寒猿を「聴き」、飛び行く雁を仰ぐ、聴覚と視覚の対になってはいますが、その前の「林間尋路踏紅葉 巌畔側身攀綠蘿」の一対と対照すれば、大きくは聴覚的な一対であるとする方が整うように思われ、とすれば雁は声も聞こえていると読む方がふさわしいでしょう。秋の詩の、当然漂うしめやかな感じはあるものの、憂愁の抒情を強調しない淡々とした詠み口です。


1127雁行5023.jpg                                        23.11.27 東京都清瀬市

  この詩は山中に分け入り、季節の風物に触れながら、しかし季節を送る情を述べるものではありません。太陽より物理的には近いけれどもやはり遠いと言うしかない都、手が届きそうに見えて決して届かない、指先さえ触れることができないものの存在など、段階を踏みながら、「人間(じんかん)の嶮岨であること」を述べるのが本旨でしょう。その嶮(けわ)しさは何時の時期と言うことなく四時に渡ります。ですからこの詩は、「人の世の困難は秋の山に入ってもやはり思い起こされるものであった」と受けとるのがふさわしいのかもしれません。

   
1127山_5164.jpg                                     23.11.27 上信越高速道より
  


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