2011年6月15日

第23回 夏夜雨:暗さと明るさと

第23回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




      
      
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     微月光斜河漢澹
     清風滿樹雨聲來
     水紋簟滑生涼氣
     臥看流螢點綠苔

       微月(びぐえつ)光斜めにして河漢(かかん)澹(あは)く
       清風(せいふう)樹に満ちて雨声(うせい)来たる
       水紋 簟(てん)滑(すべ)らかにして涼気生じ
       臥(ふ)して看る流螢(りうけい)の
                    緑苔(りよくたい)に点ずるを

    
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                                     23.6.19 東京都東村山市北山公園

  梅雨らしい日が続いています。過ごしにくいとはいえ、いかにもこの季節らしいひとときを詩で御案内できたらと、今回もまた近世江戸からお送りします。

  詩は幕末の詩人 友野霞舟[とものかしゅう 寛政3年(1791)〜嘉永2年(1849)]の七言絶句「夏夜雨(かやのあめ)」です。文例のページには現代語訳とともに挙げました。

    
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                                     23.6.19 東京都東村山市北山公園

  第一句の「微月」は微(かす)かな光の月のことです。月は新月から次第にふくらみを増して、十五日で満ちるとまた欠けて細くなる、この満ち欠けを繰り返します。微かな光の月とは、光が少ない細い月を言い、陰暦では月の姿がその時期を表すことになります。「河漢」は天の川の呼び名で、漢籍ではお馴染みの表現です。

  詩はちょうど梅雨の今頃でしょう。

  たまたま雨は止んで細い月がほのかな光を投げる夜、青く繁った木々に清浄な風が吹き渡ってきたかと思うと、音を立てて雨が降ってきた。    
  雨の打つ水面に一斉に波紋が立ちます。波紋は、水面にまるで蓆を敷き広げるように、するすると滑るように広がって行きます。水の文様や雨の筋を歌う詩は古くからあって、珍しいものではありませんが、やはり詩人の繊細な好みが感じられます。
  詩人はその水辺の見える部屋に横になったまま、夜を流れる螢が、緑深く濡れた苔の上を、点(とも)り、消え、点りして行くのを看ています。

    
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  月の光が斜めであるというのは、月が見え始めて間もない頃か、沈みかける頃かのどちらかです。螢との取り合わせを考えると、この「夜」は明け方よりも夕暮れに近い方がふさわしく思われます。とすると、この「微月」の光が斜めであるという詩の場面は、陰暦の日付の早い頃の、出の早い上弦の月が、現れて間もない頃合い、と推定するのが適当と思われます。ちなみに陰暦三日の月、三日月が姿を見せるのは、およそ午後八時半頃です。

   
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  梅雨のいっとき、降ったり止んだりのせわしなさのほかは、ただ静かな夜の始まりです。物の色などがまだ昼の名残で目の中には残るような頃合い。漆黒の闇が訪れるのはもっと更けてからです。月の光はほのかで、ほかに煩(うるさ)い灯(あか)りはありません。その光も降り出した雨にくすむ中、暗い庭を飛ぶ螢が一つ、二つ、三つ、点滅しながら描く軌跡が、不思議な光の流れをなしています。

  人口の明るさのない、真の夜の、それだからこそわかる暗さの度合いの深浅と微かな明るさです。繊細な暗さと明るさとを歌うのは詩人の個性でありましょうが、この繊細さは、当時の人が広く共有できたものであることを思うと、人の暮らしはやはり、感性を鍛えもし、鈍磨させることもあるのです。

    
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  作者友野霞舟は江戸の人、名は渙(あきら)、字(あざな)は子玉、霞舟は号、通称を雄助と言いました。御家人の子として生まれ、昌平黌で学びました。謹直で温雅な人柄であったようです。甲府徽典館(きてんかん)の学頭を経て昌平黌教授となりました。幕府の英才を大勢育て、門下から、いわゆる幕末官学派詩人を排出しました。

  主著『煕朝詩薈(きちょうしわい)』は元和から天保年間の江戸時代の詩人約二百人を四期に分けて作品を分類配列し、評論した大作です。詩作に興じる天才肌の詩人と言うよりは、研究者の質の人であったように見えます。今日でも霞舟の編んだ『煕朝詩薈』は江戸の確実な足跡として、漢詩史上に貴重な文献です。

    
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  友野霞舟の亡くなったのは、嘉永二年(1849)六月二十四日のこと。墓所は谷中です。陰暦のことですから、今と同じ日付ではありませんが。

  二十四節気ではまもなく「夏至(げし)」になります。夏至の時期を更に三分割する七十二候で眺めると、その第二候の時期に「菖蒲(あやめ)咲く」とあります。水辺の花が美しい季節にさしかかるところです。

   
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