2012年3月 8日

第53回 百年日月如流電:時の流れと時代の運命


第53回【目次】         
ひたち巻頭肖像.jpg

      

    * 漢詩
    * みやとひたち




      
0308梅5303.jpg                                          24.3.8 東京都清瀬市


     梅花墜地不上枝
     黄河入海不再歸
     百年日月如流電
     人間無復伏羲時     

    伏羲:中国の伝説上の帝王。三皇の一。

      梅花(ばいか)地に墜(お)つれば枝に上(のぼ)らず
      黄河(こうが)海に入りては再びは帰らず
      百年の日月(じつげつ)流電の如く
      人間(じんかん)復(ま)たとは伏羲(ふくぎ)の時無し

      
0226梅3459.jpg                                          24.2.26 東京都清瀬市

  詩は江戸後期の儒学者 亀田鵬齋(かめだ ほうさい 1752〜1826)の七言絶句「偶作(ぐうさく)」です。

     梅の花は地に堕ちたら枝には戻らず
     黄河の水は海に流れ入ったらもとには帰らない
     百年の日月は電(いなづま)の一閃
     この世は二度とは伏羲(ふくぎ)の時代に復(かえ)ることはない

      
0226梅3272.jpg                                          24.2.26 東京都清瀬市

  散った花は甦らない、海に流れ込んだ川の水が上流に戻ることはない、と、定まった方向に進行するものごとが決して逆行しない道理を挙げ、それに加えて、百年の時の流れも大きな歴史の中では一瞬に過ぎない、と続けるこの詩の主旨は何かと言えば、第四句に述べるところ、この世はもう聖代の理想社会にかえることはないという慨嘆でしょう。

      
0307コサギ4829.jpg                                          24.3.7 東京都清瀬市

  作者亀田鵬齋は、名は興(おこる)、字(あざな)は穉龍(ちりゅう)、通称は文左衛門。上野(かみつけ:現群馬県)の人です。
  幼年から英才ぶりを発揮し、私塾を開くにあたっては多くの旗本御家人の子弟が門人に連なりました。当時極めて影響力の強い指導者の一人だったと言えます。「幕末の三筆」に数えられる巻菱湖(1777〜1843)もこの門に学びました。

  鵬齋の学は朱子学ではない折衷学派に属する系統で、それは価値判断の拠り所を社会的な権威より自己の規範意識に置く教えであって、大勢の幕臣を門下に抱える一方、もともと為政者にとって不都合な理念に立脚する学問でした。寛政の改革時期にいわゆる「寛政異学の禁(昌平黌(学問所)などの幕府教育機関において朱子学以外の講義を禁じること)」が発令されると、朱子学者も含めて学者の中からはその禁令に反対を唱えて抵抗する人たちが現れました。その姿勢が特に目立った亀田鵬齋、山本北山、冢田大峯、豊島豊洲、市川鶴鳴の五人は「寛政の五鬼」また「異学の五鬼」とも呼ばれました。鵬齋はこの時期に千人いたという門人のほとんどを失い、塾を閉じました。

      
0308コサギ5051.jpg                                            24.3.8 東京都清瀬市

  この詩の結句に表明されている慨嘆は、作者の人物を覗えばありありとその背景が見えて参ります。本場中国の漢詩が普通にそうであるように、鵬齋のこの詩はまずこの世のあり方に、率直に言えば政治に、強い批判精神を向けるところに成り立っております。

      
0202メジロ梅4123.jpg                                          24.3.2 東京都清瀬市

  従って、この詩の第一句の梅花、第二句の黄河の流れも、復(かえ)らないものをひとえにセンチメンタルに詠んでいるのではありません。世が下れば政治は当然悪くなる、その流れが逆らいがたいものであることを言うのと軌を一にする、時間の推移の絶対性を例示するのがこの二句の役割です。それでも、この梅のきれいな時期に、私たちは「梅花地に墜つれば枝に上(のぼ)らず」を現実の情景に見る時、そこには社会の動きや政治への憂慮を当面別にしても、過ぎて戻らない時間をめぐって自然に引き起こされる感慨があります。

      
0306梅4474.jpg                                           24.3.6 東京都清瀬市

  三月十一日が近づいて参りました。去年の三月は今年よりはずっと暖かく、もうこの辺りの梅も満開を過ぎた頃。ただ、その日は東京も朝から寒い日でした。
   時は復(かえ)らず、また、百年の時間も長い歴史の中では稲妻の一閃。取り返しの付かない事態のあと、今はまだ鮮明な惨禍の記憶も少しずつ遠退き、次第に埋もれて行くのが自然の流れです。しかし東北は、当然のことに、まだ本来の姿を取り戻せておりません。原子力発電所事故をめぐるさまざまな問題も人に納得の行く解決の見通しは得られておりません。まだまだ長い時間がこうして過ぎて行くでしょう。これは日本の国全体の問題です。少なくとも今生きている日本人は、自分の時代の出来事として平成二十三年三月の震災を最後までみなで引き受けてゆくことを忘れないようにしなければなりません。事態が回復する最後はいつとは分かりません。この「最後」とは、少なくともそれより早く来る「自分の最後」までということです。亀田鵬齋はただ知見をもって幕府を批判するだけの人ではありませんでした。天明三年(1783)、記録されている限りでは我が国最大の火山噴火であったという浅間山の大噴火があり、その翌年に渡って厳しい飢饉が続いた時、鵬齋は蔵書のあらかたを売り尽くしてその救援資金に充てました。また、宿泊した浦和の宿屋の窮状を見て、先の路銀を顧みずにあるだけのお金(百両と書かれたものもありますが、確認中)を置いてきたことなど、義に篤い人柄を伝える逸話も多い人でした。

      
0301梅3880.jpg                                          24.3.1 東京都清瀬市





同じカテゴリの記事一覧