2011年6月 9日

第22回 雨過ぎて:四望すれば更に清新なり


第22回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




      
      
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     坐憶天公洗世塵
     雨過四望更清新
     光風霽月今猶古
     唯缺胸中灑落人

       坐(そぞ)ろに憶(おも)ふ
              天公(てんこう)世塵(せぢん)を洗ふかと
       雨過ぎて四望(しばう)すれば  更に清新(せいしん)なり
       光風(くわうふう)霽月(せいぐえつ)
                今猶(な)ほ古(いにしへ)のごときも
       唯だ缺(か)く 胸中(きようちゆう)灑落(しやらく)の人

  この度は江戸時代からお送りします。詩は、山崎闇斎(やまざきあんさい 1619〜1682)の七言絶句「有感」です。
全文の現代語訳は文例のページに挙げました。

    
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     ふと 天の神が 世の汚れを洗い流してくれたかと思うように
     雨上がりの四方の眺めは ひときわすがすがしい

  冒頭二句は雨上がりの景色を詠みます。長雨の折柄、この雨後の清浄な美しさは私たちにも親しいものです。

    
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  雨に空気も洗われた雨上がり、詩は神が授けたもうたかと思うばかりの清新な景色を歌い出しますが、ただに自然の美しさをいうばかりの詩ではありません。

  第三句、「霽」は訓読みすると「は(る)」。雨や雪が止み、雲や霧が散じて晴れることを表します。「霽月」は晴れて見えるようになる月、雨上がりの月を表す言葉です。末句「胸中灑落の人」とは、胸の中、心持ちが「灑落」すなわちさっぱりとしてものに拘らない人ということになりましょう。

  雨上がりの美しいこの眺めが今も昔に変わらないことと対比して、人はどうか。昔と違って心持ちのさっぱりとした人が今はなかなかいないものだ。

  『宋史』の周敦頤伝に周氏を表して「人品甚だ高く、胸懐灑落、光風霽月の如し」とあります。闇斎がこの詩にいうのはこうした品性を指すものと思われます。あるいははっきりとこの文書が念頭にあっての詩かもしれません。

    
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  自然を掲げ、そこに胸懐を重ねる。漢詩のもっとも普通の構造です。詩の中心をどこに見るかは、読む人それぞれに感じる所があって良いのかも知れません。まず掲げられた自然美の一句に心を奪われて、忘れられない詩になることもありましょう。しかし、共感できるかできないかは別として、詩の意図(主張)は何かと言えば、漢詩の場合ははっきりと最後の一句、あるいは一聯(れん)です。この詩は、洗われたような清々しい景色を目にしながら、胸に去来する嘆きを歌うことが詩人の意図だったことは間違いありません。

    
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  作者山崎闇斎(やまざきあんさい)は京都の生まれ、幼くして比叡山に入り仏門に入りました。19歳の時、土佐の寺に移り、土佐で朱子学に触れ、傾倒を深くして、25歳で還俗して儒学者になったという人です。さらに学究は神道にも及び、のちに神道と儒学を統合解釈するいわゆる垂加神道を開きました。幕末の世を動かした思想の一つです。

  その闇斎が昔を偲び嘆いた「今」から三百数十年、闇斎の「今」も古い昔になりました。闇斎に、喩えばTVの国会中継を二時間ばかり視聴してもらったとして、およそさっぱりしたところの窺えない政治家や官僚の言動に、彼は現代人の「胸中」をどのようなものと感じるでしょう。

  昔をよいものとし、今を嘆く、というのは大昔から今日まで変わらない人間の習俗の一つ。ともすれば年寄りのぼやきですが、この世がよいものであってもらいたいと、社会に向ける眼差しがなければ起きない嘆きでしょう。昔と今の実質を客観的にくらべることはなかなか難しいことですが、どの時代にあっても、過去に優れた手本が多いことは忘れてはならないと思います。

    
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  五月雨(陰暦五月の雨)の降るこの梅雨の時期、陰暦五月は、古くは忌み月でした。引っ越しや工事の類を避けるのは天候の事情から当然とも思われますが、難しい仕事や結婚、契約事など、重大なこと全般を避け、身を慎んで暮らしました。天候ばかりでなく、とかく不調が起きやすいと、経験的な智慧がそうさせたのでしょう。どうぞ、お大切にお過ごし下さい。

    
0611釣り堀2.jpg                              "雨ガ 止ンダノデ"
    
6012釣り堀3.jpg          "オサンポ ニ  キマシタ  鴨チャン ニ 会イニ"

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