第64回 薫風何處來:風の名前 薫風 あおあらし
第64回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
* みやとひたち カルガモ篇
24.5.27 東京都清瀬市
二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」も過ぎました。今年は6月6日でしたね。
「芒種」は農耕に因んだ言葉で、稲や麦など芒(のぎ)のある穀物の種蒔きをする時期と言います。やがて梅雨に入り、捲いた種が芽を出し、伸びて育つ。実りの季節につながる長い歩みが始まっています。
一方、森や野原の生き物世界は子育ての時期の最中(さなか)です。散歩の道すがら、今年も翡翠の親が口移しで子供に小魚を運び養う姿や、カルガモの親子が列になって泳ぐ様子に、心を癒され励まされる人間という生き物の何と多いことでしょうか。さまざまの生命の営みを包んで、初夏の心地よい風が吹いています。
24.6.4 東京都清瀬市
薫風何處來
吹我庭前樹
啼鳥愛繁陰
飛來不飛去
薫風(くんぷう) 何処(いづこ)よりか来(きた)りて
我が庭前(ていぜん)の 樹を吹く
啼鳥(ていちょう) 繁陰(はんいん)を愛し
飛び来りて 飛び去らず
※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
ゴイサギ 24.6.3 東京都清瀬市
詩は明の于謙(うけん 1398〜1457)の五言絶句「偶作」です。
詩に時折見られるこの題は、「偶(たまたま)出来た作」という意味です。ふと心に浮かんだこと、閃いたこと、という題ですから、詠み口もあっさりと、表現も凝らないものになるのは自然なことでしょう。
かぐわしい夏の風が どこからかやって来て
我が家の庭先の樹々を吹き過ぎる
啼く鳥は繁った木陰を愛して
飛んで来てそのまま 飛び去ろうとしない
平易な言葉と表現のなかに、季節の心地よさがさらりと表されます。このさり気なさと新鮮さとが「偶作」といった種類の詩の魅力でしょう。
薫風(くんぷう)は初夏のかぐわしい風、 青葉の香を乗せて吹く風であると言われます。南風です。南風は長養の風、すなわち万物を長(の)ばし養う風であると言います。
薫風の別名に、我が国には「青嵐(あおあらし)」という言葉もあります。嵐と付くので幾分激しい感じがいたしますが、「薫風」と同じ、初夏に若葉の香を送るように吹く風の意味に用います。漢語の「青嵐(せいらん)」は山中の青々とした気を意味し、「薫風」とは同じではありません。
櫟 24.5.27 東京都清瀬市
于謙(うけん 1398〜1457)は明の政治家。銭塘(浙江省杭州)の人。字(あざな)は廷益(ていえき)。詩文をよくし、作品集を残しています。
1449年、勢力を強めたモンゴルは侵攻して明の英宗皇帝を捕虜とし、 さらに南進し、北京が陥落しそうになった時、多くの遷都論に与せず都城を守りました。やがて戦況は変化してモンゴルは軟化し、英宗は明に帰還しましたが、その英宗が再び帝位に就く際に、于謙は政争に巻き込まれて事実無根の反逆罪で処刑されました。皇帝も変わった約半世紀後にその名誉は回復され、都を死守した功績と勇気は今も讃えられています。
鬼胡桃 24.6.3 東京都清瀬市