第57回 春光藹藹:春の光満ちる頃
第57回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
大寒桜とヒヨドリ 24.4.1 東京都国分寺市日立中央研究所
小閣眠驚此時情
春光藹藹近晴明
風前一樹如糸柳
裊裊未堪能著鶯
小閣に眠り驚(さ)む 此の時の情
春光藹藹(あいあい)として 晴明近し
風前一樹 糸の如き柳
裊裊(じょうじょう)として
未(いま)だ能(よ)く鶯を著(つ)くるに堪へず
※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
大寒桜 24.4.1 東京都国分寺市日立中央研究所
今回も江戸化政期の女流 江馬細香(えま さいこう 1787〜1861)の作品から御紹介します。七言絶句「庚辰春日作(こうしんしゅんじつさく)」です。
大寒桜 24.4.1 東京都国分寺市日立中央研究所
第二句に「清明」という言葉が見えるとおり、花の季節も進んで来ています。「春光藹藹(あいあい)」春の光は柔らかに満ちて、陽気も気持ちよく暖かくなってまいりました。その中での「小閣眠驚」です。
「小閣」は小さな建物のことですが、ここでは詩人が起居する場所、母屋でなく別棟といった建物、また屋敷の離れなどを指すことになるでしょう。
眠「驚」くというのは眠りからふと醒めること。動詞オドロクはもともとはぼんやりと意識の薄かったところからはっと我に返る動作を言います。現代ではびっくりするという驚愕の意味に中心がすっかり移っていますが、古典語のオドロクは多くは眠っている状態から目が醒める意に用いられます。
第一句後半「此時情」は、うとうとしていたところからふと醒めたこの時の気分、何とも言えない情感を、言葉に出来ないという態で表現しています。
ソメイヨシノ 24.4.7 東京都清瀬市
この春の時期を指定する「清明」は二十四節気のひとつ、「春分」の次の節気で現在の暦では四月の上旬です。今年は四月四日がこの日にあたります。
江戸時代の『暦便覧』によれば、「清明」の頃とは「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草と知れるなり(万物がすがすがしくあきらかであって、若い芽をこれは何の草と看て取れる)」とあって、爽やかな明るい時期の到来を意味するようです。
大寒桜 24.4.7 東京都国分寺市日立中央研究所
また、二十四節気よりさらに詳しく、各節気を三等分し、一年を七十二分して季節の進行を説明したものに七十二候(立春の初めを初候とし、順に大寒の最後の候を第七十二候とする)という区分があります。それによると、「清明」の時期には「玄鳥(つばめ)至る」(第十三候)、「鴻雁(こうがん)かへる」(第十四候)、「虹始めてあらはる」(第十五候)といった事象が挙げられています。
燕が来て、雁が帰る。渡り鳥の往来がこの季節の特徴といえます。
我が国初めての勅撰和歌集『古今和歌集』の春歌に、その帰雁を内容に含む次のような歌があります。
春霞立つを見棄ててゆく雁は 花なき里に住みやならへる
『古今和歌集』春31 伊勢
人がみな待ちわびていた桜が開くその春に、雁は春を謳歌するのではなく北へ帰ってゆく。それは、雁がもともと花(桜)のない里に住みなれているからなのだろうか。だから未練もなげに春のこの地を発って行ってしまうのだろうか、と理由を探る形で行く雁に惜別の眼差しを送り、結果として桜を賞賛する歌です。「春霞(が)立つ」という表現は早春の景に限定する場合も多いのですが、雁が帰るのはまさにこの清明の頃です。『古今和歌集』の歌の配置も帰雁の時期に合わせてあるようです。
ソメイヨシノ 24.4.7 東京都清瀬市
前半に時期と心情を述べ、詩は後半にようやく自然の景観を表します。春風にゆらぐ糸のように細い柳の枝。わずかに芽吹く澄んだ浅緑がこの詩を覆う彩りです。しなやかにやわらかくそよいで、鶯がとまろうにもとまることができない、そんな枝の繊細さが若いみずみずしい春の姿として魅力的に歌われています。
24.4.7 東京都清瀬市
題にある「庚辰(こうしん)」は十干と十二支とを組み合わせた干支の一つで、庚(かのえ)辰(たつ)の年を表し、六十年に一度廻って来ます。江馬細香の生没年を見れば、在世中に庚辰にあたるのは文政三年(1820)ということがわかります。作者三十三歳の春の作です。
24.4.7 東京都清瀬市