第70回 荷花同月白:月光に解ける大輪の花
第70回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち "陰影"礼賛
22.7.25 東京都東村山市
江上風涼夜
人帰垂柳村
荷花同月白
水面不留痕
江上(こうじょう)風涼しき夜、
人は垂柳(すいりゅう)の村に帰る。
荷花(かか)月と同じに白く、
水面痕(あと)を留めず。
※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
24.8.21 東京都清瀬市
川のほとりの風の涼しい夜、
人は枝垂(しだ)れ柳の村に帰りゆく。
荷(はす)の花は月光と同じように白いので、
水の面には花の影(すがた)を映しもしない。
鮎の群 24.8.21 東京都清瀬市
詩は江馬天江(えま てんこう 1825〜1901)の五言絶句「江上夜帰(こうじょうやき)」です。
「江」は水辺にひろく使われる言葉ですが、ここでは、蓮の花の咲く、池または水の流れの緩やかな川淀でしょう。「上」は位置や場所を表して、「その近く」を意味します。川あるいは池のほとり、水を渡って吹く風が涼しい、そんな夏の夜です。
第二句の「垂柳」は枝を垂らした柳のこと。あをによし奈良の都の歌の数々に詠まれているように、我が国では柳は古くから街路樹に植えられて親しい樹木です。柳の種類は実は多いと言いますが、私たちが柳と聞いて思い浮かべるのは、その街路樹などでお馴染みの枝垂れ柳でしょう。この詩にある「垂柳(すいりゅう)の村」というのも、川沿いに浅緑の柳の糸が靡く集落として、想像しやすい風景です。
24.8.17 東京都清瀬市
第三句「荷花(かか)」はハスの花のこと。ハスは今日の我が国では「蓮」という表記が一番分かりやすいかもしれませんが、さまざまな表し方があります。「荷」だけでもこの植物の花の部分を指します。また、「芙」「芙蓉」もハスの花を指します。
明るい月の光が注ぐ夜です。詩中水面から立ち上がって開いている荷(はす)は「月と同じに白」い花なので、水上の空間で白々と注ぐ月光と解け合って、花の輪郭がわからなくなっている。水面には花の影も映さない。そんな、一種幻想的に明るい夜の光景を詠んでいます。
24.8.17 東京都清瀬市
荷(はす)は古くからの夏の花の代表です。漢詩の世界では薔薇(そうび)と荷花とが夏花の双璧でしょう。和歌の領域でも、歌の材の少ない夏歌の中に蓮の歌は大きな分量を占めています。古い時代にはその花の終わった後の種を蓄える部分の形状から「はちす」と呼ばれることが普通でした。文字通り蜂の巣の形から来る呼び名です。
24.8.17 東京都清瀬市
空調機器もない時代、真夏の暑さを凌ぐ方法がわずかに氷室(ひむろ)の氷や扇の風や、水辺で涼を取ることくらいだった頃、荷花の周辺は現実的に涼を取る場所として親しまれて来ました。また、仏陀の足跡から生まれたと伝わり、極楽浄土に咲く聖なる花と信じられたことに加えて、泥土の中に生じながら汚れなく咲くということをもって、ますます清浄無垢の表象として愛好されました。
この詩ではことに、花は白。大振りの花ですが派手ではなく、涼しく清浄な花です。その清らかな大輪が月の光に解けて漂う夜です。
白い花が白いものに紛れて見えなくなる、というのは白梅と雪の取り合わせに最も多く見る意匠です。白いものとしてはほかに霜などがやはり同じように使われ、白菊とよく詠み合わせられます。雪や霜はどうしても季節を選びますが、一年を通して詩歌に引かれて意外にこの役割が多いのが月の光かもしれません。科学的には太陽光の方がむしろ白色に近く、較べれば月の光は黄色であるというのですが、文学の伝統では、明るい月光は白い光として意識されてまいりました。
日中はまだ炎暑の頃です。その日のことをなし終えて家路につく人は、大輪の花が浄らかに月光に滲むのを心地よく眺めながら、やはり帰りを急いでいるのでしょう。
24.8.21 東京都清瀬市
作者江馬天江(えま てんこう 1825〜1901)、名は聖欽、字は永弼、通称俊吉。近江の人。本姓下阪氏。幕末から明治の京都を代表する文人です(第50回 横枝不見花参照)。勤王の志士として情熱的に活動した時期もありました。この詩も古典によく倣い、伝統的な意匠を美しい風韻に詠んでいます。
24.8.16 東京都清瀬市