2011年9月15日

第32回 月前懐旧:蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)けし心


第32回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




    
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     秋月不知有古今
     一條光色五更深
     欲談二十餘年事
     珍重當初傾蓋心

       秋月(しうげつ) 古今(ここん)有ることを知らず
       一条の光色(くわうしよく) 五更(ごかう)深し
       二十餘年(はたとせあまり)の事を談(かた)らんと欲するに
       珍重(ちんちやう)す
         当初(そのかみ)蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)けし心を

  詩は平安前期の菅原道真(845〜903)の七言絶句「八月十五夜月前話舊(はづき もちのよ げつぜんにむかしをかたる)」です。

  さきの九月十二日の満月が今年の仲秋の名月でした。仲秋と呼ぶのは、ご存じの通り、陰暦の季節割りで秋の時期に当たる三箇月、七月、八月、九月を、古代日本が手本とした中国の習慣でそれぞれ孟秋、仲秋、晩秋と呼ぶ、その陰暦八月のことです。一年中いつと言って月の美しくない時期などありませんが、古来とりわけ美しいと眺められてきたのがこの陰暦八月・仲秋の満月です。

    
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  人は月を見るときに月の魔法にかかり、時と場所との制約を解かれるのでしょう。月光の下で今この時を忘れて、遠い日、遠い場所、遠い人のことを懐かしく思い出します。

  詩の第一句、秋月に「古今(ここん)有ることを知らず」は昔と今とに違いがないという意味です。いつ、どんな場所で仰いでも、あのときと同じ光、と昔を思い出すよすがになるのも月の不思議です。
  普遍の光の中、時は「五更」。「更」は夜の時間の単位を表します。一夜の長さを五等分して「一更」「二更」と使います。「夜」を等分するので季節によって実際の物理的長さは異なりますが、深夜の零時などはどの季節も「三更」に入ります。この詩の「五更」は夜の最後の区分になります。夜は更けきった、というより間もなく夜明けにも向かう頃合いです。

    
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  最後の句にある「珍重す」は滅多にない貴重なものとして重んじるという原初の意味から、「有難い」「かたじけない」また相手の身を「お大事に」などの意味で用いる書簡用語です。こうした表現が使われていることで、この詩が手紙のような語り口で詠まれていると分かります。旧知の誰かに宛てて、あるいはその形式を借りて思いを述べた詩なのでしょう。

  「当初」の訓「そのかみ」とは現在からさかのぼって「過去のその時代」「当時」といった意味で用いられる言葉です。
  「蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)けし心」とは漢籍にある言葉「傾蓋」を訓読解釈した言葉です。「蓋」は人が乗る車の上を覆う傘です。「傾蓋」はその蓋(かさ)を、同車の相手のために支える心遣いの意味から、親しい相手へのさりげない思いやり、また旧知の仲のように親しみあう比喩として「文選」などに見られます。

  詩人は二十年あまりのことを語ろうとするにつけ、あのころの「蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)けし心」をありがたいことと思い出す、と述べます。長い年月のことを語ろうとすると、出来事のあれこれではなく、その事柄の背景に日常的に、いつもやさしい君の心遣いがあったこと、親しく睦びあったあのころの君の心を、実に感謝すべきものであったことと思い出す、ということでしょう。

    
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  「傾蓋」は、中国の乗車の習慣に基づく表現ですから、私たちの生活の歴史を辿ってもこの構造の車そのものがなく、この詩の気持ちを重ね見る「傾蓋」という行為を知りません。しかし、相手のために蓋を支えようという行為が当たり前に行われる人間関係がどのようなものか、生活習慣が違っても十分に伝わります。ちょっとした振る舞いにふと現れる好意や親愛の情は何気ないものだけに、思い出の中ではしみじみと胸に迫る懐かしさです。

  この詩は道真の若い時期の作ですから、二十年以上前に遡ればまだ少年時代でしょう。何心ない子供の頃から人となるまで、心を許して付き合ってきた友との思い出は格別です。今ももちろん会える人だとしても、あるいは現にこの時対座して月を仰いでいるのだとしても、まだ若く幼かった彼とそして自分と、返らない過去の時そのものがいとおしく、懐かしい思い出です。

    
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  清く冴えた仲秋の月光の下に、次々と思い出される昔。思い出して語ろうとする場面場面に、そこに自分を包んでくれていた温かい友の心の存在を知ります。幸福な夜の、時はすでに五更。この夜は寝ずに明かしたのであろうと想像します。

    
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