2011年9月23日

第33回 莫言偏待月:眠れない夜


第33回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




    
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     莫言偏待月
     多是睡難成

       言ふこと莫(な)かれ 偏(ひとへ)に月を待つと
       多是(おほよそ)に 睡(ねぶり)成り難きなり

  詩は平安前期、菅原文時(899〜981)の五言絶句「秋夜待月(秋の夜 月を待つ)」の後半の二句です。文例のページに全文を挙げてあります。

    
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  陰暦の十五日、十五夜(望月・満月)の日を過ぎて、月は次第に形を細くしてゆき、月の出は徐々に遅くなります。満月が午後六時頃に昇るとすると、翌日にはおよそ30分遅い月の出になります。陰暦十六日の月を「十六夜(十六夜月)」と書いて「いざよい(いざよひ)」と言いますが、「いざよう(いざよふ)」とは逡巡すること。月の出が前夜より少し遅くなることを、出ようかどうしようか、月がぐずぐずして出遅れたのだという見立てで名付けた呼び名です。

    
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  日を追って月の出は遅くなるので、月を待つ人にとっては待つ時間が日に日に長くなってゆきます。「十六夜」の次の月の名を「立ち待ち」(陰暦十七日頃の月)というのは、見当をつけた時刻にまだ月が現れないので、しばらく立ったまま待って見る月、というのが由来です。日が経って更に出が遅くなると、呼び名は「居待ち」、「寝待ち(または臥し待ち)」と移ります。立ったまま待つには長すぎるので座って待つ、座って待っていてもなかなか出てこないので横になって待つ、場合によっては一眠りして、というわけです。

    
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  そうしているうちに、月の下旬にもなると、月の出は深夜になり(陰暦二十三夜の月の出でおよそ零時半頃)、その代わりに入りもおくれて朝方まで残っているようになります。それが「有明の月」です。空に有るまま夜明けに至る、その空に残っている月のことです。

  このように月の昇る時刻はいろいろでしたから、月を見たいと思ったとき、時期によっては夜更けまで長く待たなければならないことにもなるのです。

    
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  文時の詩の時刻はもう夜更けなのでしょう。そんな時刻に空を仰いでいる人は、月影に焦がれて時を過ごす風流の客なのでしょうか。いやそんなのんきな人種と決めつけないでほしい、と詩人は言います。夜更けに寝ずに起きている人、そのおおよそは、ただ月を見たいばかりに待っているのでなどなく、心に愁いがあって眠れないのだ。平安な睡りに就くことができないでそうしているのだ、と。


  月は太古の昔より思索の友であります。たしかに、心の晴れる思いばかりではなく、月を眺めてもの思いにふけることも人の常ではありました。


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   世に経(ふ)れば もの思ふとしもなけれども
   月にいくたび眺めしつらむ
   (長く生きてくると、もの思いするというわけでもないときでも
    さやかな光に心奪われて、幾たびこうして月を眺めやったことだろう。)
  
  これは文時より少し後の時代、平安中期の具平親王(964〜1009 村上天皇第七皇子 後中書王 のちのちゅうじょおう)の歌です(『和漢朗詠集』秋、月 260)。

  「眺む」という古典語はただ遠い場所にぼんやり視線を遣るという動作だけを意味するのではなく、そのような時の心中を動作に重ねて用いる言葉でした。たとえば「月を眺む」という時は、月に視線を遣りながら、もの思いに沈んでいることを表すことがたいへん多かったのです。具平親王のこの歌は、明るい秋の月のもとで、月ともの思いという類型的な組みあわせを意識した上で、そうではない場合、憂愁の思いというわけでもなく、ただ月光の魅惑に放心してしまうような心持ち、を歌った月光讃歌であろうと理解します。

   眺むるに もの思ふことの慰むは
   月はうき世の外(ほか)よりやゆく
   (月を眺めているともの思いする心が慰められるのは、月は(私たち人間とは
   違って)煩悩にまみれたこの世の外を通って行くからだろうか。)

  などという歌もあります。やはり平安中期、11世紀初頭に詠まれたものです(『後十五番歌合』(藤原公任撰か)21大江為基)。

  月ともの思いという大昔からの伝統的な組みあわせはもちろん意識されています。その上で、月に癒される心を歌っています。

    
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  こうした和歌に見えるように、月の光は時に人を魅了し、この世のことをふと忘れさせるような神秘の威力さえ秘めているようです。しかし、それでもなお慰撫されることのない悲しみや苦しみを人はさまざま抱えております。文時の詩の末句が述べる現実はそのことを、魅惑的な月光世界に隣接する現実の苦界の存在を、直截に表しているように思われます。


    
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  作者菅原文時(899〜981)は天神菅原道真(845〜903)の孫にあたります。通称 菅三品。家の学である文章道を継いで詩文に優れた才を発揮しました。『今昔物語集』『江談抄』などの説話集にも詩才を語る逸話が残っています。

    
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