第21回 雨に待つ郭公:和歌と交錯する日本の詩
第21回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
23.6.4 東京都清瀬市
郭公(ほととぎす)夏に属し佳名(かめい)有り
好事(かうじ)の家々に嗟嘆成る
*子(うぐひす)の巣の中 春に翅(つばさ)を刷(つくろ)ひ
万葉集に見ゆ
故(ゆゑ)に云ふ
免花(うのはな)の牆(かき)の外 暁に声を伝ふ
汝(なれ)は同類(とも)を呼ぶ 孤雲(こうん)の路(みち)
人は和言(うた)に詠む 五月の程
古今の人多く和歌に詠
故に曰(い)ふ
低檐(ていえん)雨は滴(しただ)る 寂寥(せきれう)の夜
枕を欹(そばだて)て堪へず 相ひ待つ情(こころ)
*は上に貝二つを並べた下に鳥
23.5.31 東京都清瀬市
詩は王朝後期の詩人釈蓮禅(俗名 藤原資基 生没年未詳 12世紀初頭の人)の七言律詩「賦郭公[郭公(ほととぎす)を賦す]」です。本来は八行詩ですが、途中二箇所、第三句のあとと第六句のあとに、註が加わって変わった形をとっています。詩としては註は抜いて一続きの律詩として詠むべきでしょう。文例のページに原文を挙げています。
ほととぎすは夏の季節のよい景物
風流を好む人の家々で愛でられる
鶯の巣の中で春の羽根をつくろい
万葉集に見えるので
そのように云う
卯の花の咲く垣根の外で明け方に鳴く
お前は空遠く ひとひらの雲が行く路に友を呼び
人は五月のころに それを和歌に詠む
昔の人も今の人も多くが和歌に詠むので
そのように言う
低い軒先から雨の滴る寂しい夜
枕をそばだてて一声を待っている 待ち遠しく堪えがたい思いだ
百合の木 23.5.21 東京都清瀬市
今頃が陰暦ではちょうど五月、五月雨(さみだれ)の頃。五月雨が梅雨の雨です。
日本では夏はもともと歌の少ない季節です。中でも五月雨に降り籠められ、蒸し暑く過ごしにくいこの時期は、一年の中でも詩歌の題材の最も乏しい頃と言えます。近年盛んに「地球温暖化」なる言葉が飛び交いますが、平安時代は年間を通してもっと高温であったことがさまざまの資料から裏付けられています。現代の「地球温暖化」説は、恐らくこの原発事故で改めて注目を集めているエネルギー問題が底辺の重大事で、これに政治と経済産業界がそれぞれの思惑で関わり、周辺のさまざまな団体が商売絡みで「地球温暖化」説を喧伝する、という構造になっている模様です。気温だけで言えば、地球は氷期と間氷期を周期的に繰り返し、我が国の夏の苦しさは、現代よりもっと厳しい時代はありました。
ホトトギスはその苦しい夏期の歌の代表的題材です。
23.5.31 東京都清瀬市
ところで、古来日本人は夏という季節をどのように捉えていたのでしょう。唱歌の「夏は来ぬ」(佐佐木信綱 詞)が、よくできたまとめになっています(連載「みやと探す作品に書きたい四季の言葉」第10回 夏は来ぬ)。
卯の花の匂ふ垣根に
時鳥[ほととぎす]早も来鳴きて
忍音[しのびね]もらす夏は来ぬ
さみだれのそそぐ山田に
賤の女[しづのめ]が裳裾[もすそ]ぬらして
玉苗[たまなへ]植うる夏は来ぬ
※第二行「賤の女」はのちに「早乙女[さおとめ]」に改変。
橘[たちばな]の薫[かを]る軒端の
窓近く蛍飛びかひ
おこたり諌[いさ]むる夏は来ぬ
楝[あふち]ちる川[かは]べの宿の
門[かど]遠く水鶏[くゐな]声[こゑ]して
夕月[ゆふづき]すずしき夏は来ぬ
五月闇[さつきやみ]蛍飛びかひ
水鶏[くゐな]鳴き 卯の花咲きて
早苗[さなへ]植ゑわたす夏は来ぬ
まず、卯の花が咲き、ホトトギスが来て鳴く。二番では五月雨の景色、水田に田植えの情景が歌われ、三番には橘と螢が、四番には楝(おうち)の花と水鶏(くいな)の声が詠まれます。夏の歌の題材と言えば、このほかには短夜(夜が短いこと)、盛夏になって扇、蓮(はちす)があるくらいで、季節の風物はおよそこの唱歌の中に尽くされています。
栴檀(楝) 23.6.4 東京都清瀬市
初夏のホトトギスは、ちょうど春の鶯がそうであるように、伝統的季節感を担った夏の鳥なのです。
釈蓮禅の詩の註に「万葉集に見ゆ」というのは『万葉集』巻九の「霍公鳥(ほととぎす)を詠む」とある歌に、ホトトギスがウグイスの巣で孵り、父母(鶯)のようには鳴かない、などとあるのを踏まえているものと思われます。
また、この詩に、五月の卯の花の咲く垣根に鳴くこと、雨の日、深夜に鳴くこと、また末句に「枕を欹(そばだて)て堪へず 相ひ待つ情(こころ」とあるように、その声を夜を徹して待つことなど、いずれも和歌にホトトギスを詠む場合によく用いられる表現をそっくり漢詩に移して詠んでいます。和歌と漢詩との往来が自在になり、次第に和様の漢詩世界が開けてゆく、その一端です。
芍薬 23.5.18 東京都清瀬市
* 漢詩
* みやとひたち
23.6.4 東京都清瀬市
郭公(ほととぎす)夏に属し佳名(かめい)有り
好事(かうじ)の家々に嗟嘆成る
*子(うぐひす)の巣の中 春に翅(つばさ)を刷(つくろ)ひ
万葉集に見ゆ
故(ゆゑ)に云ふ
免花(うのはな)の牆(かき)の外 暁に声を伝ふ
汝(なれ)は同類(とも)を呼ぶ 孤雲(こうん)の路(みち)
人は和言(うた)に詠む 五月の程
古今の人多く和歌に詠
故に曰(い)ふ
低檐(ていえん)雨は滴(しただ)る 寂寥(せきれう)の夜
枕を欹(そばだて)て堪へず 相ひ待つ情(こころ)
*は上に貝二つを並べた下に鳥
23.5.31 東京都清瀬市
詩は王朝後期の詩人釈蓮禅(俗名 藤原資基 生没年未詳 12世紀初頭の人)の七言律詩「賦郭公[郭公(ほととぎす)を賦す]」です。本来は八行詩ですが、途中二箇所、第三句のあとと第六句のあとに、註が加わって変わった形をとっています。詩としては註は抜いて一続きの律詩として詠むべきでしょう。文例のページに原文を挙げています。
ほととぎすは夏の季節のよい景物
風流を好む人の家々で愛でられる
鶯の巣の中で春の羽根をつくろい
万葉集に見えるので
そのように云う
卯の花の咲く垣根の外で明け方に鳴く
お前は空遠く ひとひらの雲が行く路に友を呼び
人は五月のころに それを和歌に詠む
昔の人も今の人も多くが和歌に詠むので
そのように言う
低い軒先から雨の滴る寂しい夜
枕をそばだてて一声を待っている 待ち遠しく堪えがたい思いだ
百合の木 23.5.21 東京都清瀬市
今頃が陰暦ではちょうど五月、五月雨(さみだれ)の頃。五月雨が梅雨の雨です。
日本では夏はもともと歌の少ない季節です。中でも五月雨に降り籠められ、蒸し暑く過ごしにくいこの時期は、一年の中でも詩歌の題材の最も乏しい頃と言えます。近年盛んに「地球温暖化」なる言葉が飛び交いますが、平安時代は年間を通してもっと高温であったことがさまざまの資料から裏付けられています。現代の「地球温暖化」説は、恐らくこの原発事故で改めて注目を集めているエネルギー問題が底辺の重大事で、これに政治と経済産業界がそれぞれの思惑で関わり、周辺のさまざまな団体が商売絡みで「地球温暖化」説を喧伝する、という構造になっている模様です。気温だけで言えば、地球は氷期と間氷期を周期的に繰り返し、我が国の夏の苦しさは、現代よりもっと厳しい時代はありました。
ホトトギスはその苦しい夏期の歌の代表的題材です。
23.5.31 東京都清瀬市
ところで、古来日本人は夏という季節をどのように捉えていたのでしょう。唱歌の「夏は来ぬ」(佐佐木信綱 詞)が、よくできたまとめになっています(連載「みやと探す作品に書きたい四季の言葉」第10回 夏は来ぬ)。
卯の花の匂ふ垣根に
時鳥[ほととぎす]早も来鳴きて
忍音[しのびね]もらす夏は来ぬ
さみだれのそそぐ山田に
賤の女[しづのめ]が裳裾[もすそ]ぬらして
玉苗[たまなへ]植うる夏は来ぬ
※第二行「賤の女」はのちに「早乙女[さおとめ]」に改変。
橘[たちばな]の薫[かを]る軒端の
窓近く蛍飛びかひ
おこたり諌[いさ]むる夏は来ぬ
楝[あふち]ちる川[かは]べの宿の
門[かど]遠く水鶏[くゐな]声[こゑ]して
夕月[ゆふづき]すずしき夏は来ぬ
五月闇[さつきやみ]蛍飛びかひ
水鶏[くゐな]鳴き 卯の花咲きて
早苗[さなへ]植ゑわたす夏は来ぬ
まず、卯の花が咲き、ホトトギスが来て鳴く。二番では五月雨の景色、水田に田植えの情景が歌われ、三番には橘と螢が、四番には楝(おうち)の花と水鶏(くいな)の声が詠まれます。夏の歌の題材と言えば、このほかには短夜(夜が短いこと)、盛夏になって扇、蓮(はちす)があるくらいで、季節の風物はおよそこの唱歌の中に尽くされています。
栴檀(楝) 23.6.4 東京都清瀬市
初夏のホトトギスは、ちょうど春の鶯がそうであるように、伝統的季節感を担った夏の鳥なのです。
釈蓮禅の詩の註に「万葉集に見ゆ」というのは『万葉集』巻九の「霍公鳥(ほととぎす)を詠む」とある歌に、ホトトギスがウグイスの巣で孵り、父母(鶯)のようには鳴かない、などとあるのを踏まえているものと思われます。
また、この詩に、五月の卯の花の咲く垣根に鳴くこと、雨の日、深夜に鳴くこと、また末句に「枕を欹(そばだて)て堪へず 相ひ待つ情(こころ」とあるように、その声を夜を徹して待つことなど、いずれも和歌にホトトギスを詠む場合によく用いられる表現をそっくり漢詩に移して詠んでいます。和歌と漢詩との往来が自在になり、次第に和様の漢詩世界が開けてゆく、その一端です。
芍薬 23.5.18 東京都清瀬市