第26回 夏月勝秋月:王朝の才人 藤原公任の「夏は夜」
第26回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
23.7.14 東京都清瀬市
月好雖稱秋夜好
豈如夏月惱心情
夜長閑見猶無足
況是晴天一瞬明
月の好(よ)きこと
秋夜(しうや)の好きを称(ほ)むると雖(いへど)も
豈(あ)に如(し)かんや 夏の月の心情を悩ますことに
夜長くして閑(しづ)かに見るも 猶(な)ほ足ること無し
況(いは)んや是れ 晴天に一瞬明らかなるをや
23.6.25 東京都清瀬市
詩は平安中期、多能の才人としての誉れ高かった藤原公任(ふじわらのきんとう 966〜1041)の七言絶句「夏月勝秋月(夏の月は秋の月に勝る)」です。
当時の貴族社会の慣習として、儀式と言い、遊宴と言っては詩歌・管絃の場が設けられました。漢詩・和歌・楽器演奏と朗詠は上流貴族の必須科目であり、優劣の目立ちやすい教養だったのです。関白太政大臣藤原頼忠の長男に生まれ、富裕で洗練された環境に趣味よく育ったことも加わり、そうした領域に年若い頃から卓抜した実力を見せつけることになった公任は、文化面における天才をもって他を圧倒し、政治的支配者藤原道長とは違った場所で終生時代に君臨しました。
23.7.22 東京都清瀬市
その詩に歌います。
どんな月がよいかと言って 秋の夜の美しい月を人は褒めて言うが
どうして悩ましいまでの夏の夜の月の魅力に及ぶだろう
秋の夜長に心静かに眺めてさえ なお飽き足りなく思うのに
まして短い夏の夜の 晴れ晴れした空に一瞬きらめくような月はなおさらだ
月の美しさは、夜空の美しさ、さらに言えば夜の美しさと言えるかもしれません。夜がどのようであるかということが、美しい月の決め手であり、その点において、秋の夜の風情が最も優れているとは大昔から衆目の一致するところでありました。仲秋名月の名でも知られるとおり、古来、月が美しいのは秋とされてまいりました。
しかし才人公任は、月を浮かべるその夜の意味を取り上げて、夏の月に新しい評価を試みております。
23.7.22 東京都清瀬市
「夏は夜(がすばらしい)」とは、随筆文学の祖『枕草子』の冒頭、「春はあけぼの」から始まる四季の見所を連ねた段に見える言葉です(みやと探す...第85回 螢)。
夏はよる。月の頃はさらなり。やみもなほ。ほたるの多く飛びちがひたる。
また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。
雨など降るもをかし。
『清少納言枕草子』一段
(夏は、夜がよい。月の明るい時期は言うまでもない。闇夜もまたよい。
闇に蛍がたくさん群れて飛び交っているのもよい。また、ただ一つ、
二つと、はかなげに光りながら飛び行くのも風情がある。雨(梅雨
の雨)などが降るのも趣がある。)
23.7.18 東京都清瀬市
ここで言う「夏」とは立夏から立秋の前まで、現代のカレンダーに重ねて見ると五月の上旬から八月上旬(7、8日頃)になります。陰暦時代の夏は始めの一時新緑の爽やかな時期を過ぎると、あとは約40日にわたる梅雨と炎暑の季節でした。この間、六月二十日過ぎには昼の時間が最も長くなる(従って夜の最も短い)「夏至(げし)」がやって来ますが、大抵は梅雨の陰鬱な日になって、昼の長さも明るさもさほどは意識されずに終わっているように思われます。
清少納言が記したのはそんな雨の多い、過ごしにくい夏の季節、一日の中で魅力的なのは夜だ、というのです。その中でも「月の頃はさらなり」です。
たまたま晴れた夜、満月に近い月の明るい時期であれば、それは貴重な夜でしょう。しかもその夜は短いのです。
23.7.22 東京都清瀬市
公任の詩は、月そのものの美しさを秋のと比較して詳細に吟味するものではありません。月そのものはおそらく常に美しいものとして、月を浮かべる夜について述べ、夏が短夜であればこそ、その一瞬に見る美しい月は稀少であり、魅力は絶大だと評価するのです。
夏の月を称讃するこの詩は、『枕草子』一段「夏は夜。...」の記述に実によく応じて見えます。清少納言が簡潔に「月の頃はさらなり」と結論だけ述べている、その月夜を説明しているものにも読むことができそうです。そもそも文学の遊び仲間であった公任と清少納言との間には、ある時こうした夏の夜の魅力を語り合う機会があったのだとしても不思議はありません。
23.7.17 東京都清瀬市
* 漢詩
* みやとひたち
23.7.14 東京都清瀬市
月好雖稱秋夜好
豈如夏月惱心情
夜長閑見猶無足
況是晴天一瞬明
月の好(よ)きこと
秋夜(しうや)の好きを称(ほ)むると雖(いへど)も
豈(あ)に如(し)かんや 夏の月の心情を悩ますことに
夜長くして閑(しづ)かに見るも 猶(な)ほ足ること無し
況(いは)んや是れ 晴天に一瞬明らかなるをや
23.6.25 東京都清瀬市
詩は平安中期、多能の才人としての誉れ高かった藤原公任(ふじわらのきんとう 966〜1041)の七言絶句「夏月勝秋月(夏の月は秋の月に勝る)」です。
当時の貴族社会の慣習として、儀式と言い、遊宴と言っては詩歌・管絃の場が設けられました。漢詩・和歌・楽器演奏と朗詠は上流貴族の必須科目であり、優劣の目立ちやすい教養だったのです。関白太政大臣藤原頼忠の長男に生まれ、富裕で洗練された環境に趣味よく育ったことも加わり、そうした領域に年若い頃から卓抜した実力を見せつけることになった公任は、文化面における天才をもって他を圧倒し、政治的支配者藤原道長とは違った場所で終生時代に君臨しました。
23.7.22 東京都清瀬市
その詩に歌います。
どんな月がよいかと言って 秋の夜の美しい月を人は褒めて言うが
どうして悩ましいまでの夏の夜の月の魅力に及ぶだろう
秋の夜長に心静かに眺めてさえ なお飽き足りなく思うのに
まして短い夏の夜の 晴れ晴れした空に一瞬きらめくような月はなおさらだ
月の美しさは、夜空の美しさ、さらに言えば夜の美しさと言えるかもしれません。夜がどのようであるかということが、美しい月の決め手であり、その点において、秋の夜の風情が最も優れているとは大昔から衆目の一致するところでありました。仲秋名月の名でも知られるとおり、古来、月が美しいのは秋とされてまいりました。
しかし才人公任は、月を浮かべるその夜の意味を取り上げて、夏の月に新しい評価を試みております。
23.7.22 東京都清瀬市
「夏は夜(がすばらしい)」とは、随筆文学の祖『枕草子』の冒頭、「春はあけぼの」から始まる四季の見所を連ねた段に見える言葉です(みやと探す...第85回 螢)。
夏はよる。月の頃はさらなり。やみもなほ。ほたるの多く飛びちがひたる。
また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。
雨など降るもをかし。
『清少納言枕草子』一段
(夏は、夜がよい。月の明るい時期は言うまでもない。闇夜もまたよい。
闇に蛍がたくさん群れて飛び交っているのもよい。また、ただ一つ、
二つと、はかなげに光りながら飛び行くのも風情がある。雨(梅雨
の雨)などが降るのも趣がある。)
23.7.18 東京都清瀬市
ここで言う「夏」とは立夏から立秋の前まで、現代のカレンダーに重ねて見ると五月の上旬から八月上旬(7、8日頃)になります。陰暦時代の夏は始めの一時新緑の爽やかな時期を過ぎると、あとは約40日にわたる梅雨と炎暑の季節でした。この間、六月二十日過ぎには昼の時間が最も長くなる(従って夜の最も短い)「夏至(げし)」がやって来ますが、大抵は梅雨の陰鬱な日になって、昼の長さも明るさもさほどは意識されずに終わっているように思われます。
清少納言が記したのはそんな雨の多い、過ごしにくい夏の季節、一日の中で魅力的なのは夜だ、というのです。その中でも「月の頃はさらなり」です。
たまたま晴れた夜、満月に近い月の明るい時期であれば、それは貴重な夜でしょう。しかもその夜は短いのです。
23.7.22 東京都清瀬市
公任の詩は、月そのものの美しさを秋のと比較して詳細に吟味するものではありません。月そのものはおそらく常に美しいものとして、月を浮かべる夜について述べ、夏が短夜であればこそ、その一瞬に見る美しい月は稀少であり、魅力は絶大だと評価するのです。
夏の月を称讃するこの詩は、『枕草子』一段「夏は夜。...」の記述に実によく応じて見えます。清少納言が簡潔に「月の頃はさらなり」と結論だけ述べている、その月夜を説明しているものにも読むことができそうです。そもそも文学の遊び仲間であった公任と清少納言との間には、ある時こうした夏の夜の魅力を語り合う機会があったのだとしても不思議はありません。
23.7.17 東京都清瀬市