2011年12月29日

第44回 冬に衆花有り :歳末の雪


第44回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




      
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       暁留明月千程地
       冬有衆花四遠山
       孫氏寒窓如燭映
       孟嘗昔浦似珠還

     暁(あかつき)に明月を留む千程(せんてい)の地(つち)
     冬に衆花(しゅうか)有り 四遠(しえん)の山
     孫氏が寒窓(かんそう)燭(ともしび)の映ゆるが如く
     孟嘗(もうしょう)が昔浦(せきほ)珠(たま)の還(かえ)るに似たり

      ※( )内の読み方表記は現代仮名遣い。

    
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  詩は平安後期の詩人釈蓮禅(俗名藤原資基)の七言律詩「賦雪」から、頷聯(がんれん 第三句・第四句)と頸聯(けいれん 第五句・第六句)の二組の対句です。文例のページに詩の全体を載せています。

      
12167翡翠7174.jpg                                          23.12.13 東京都清瀬市

  年末の雪を詠んだ詩です。

  暁に明るい月光をはるか彼方まで留める雪、また雪は何もない冬にあまたの花が咲くように四方の遠山を白く彩っている。
  頷聯のこの二句は雪の明るい輝きと白さとを歌います。全体に技巧の少ないこの詩の中で、遠山の雪景色を「衆花有り」とするのは言葉にも無理のない美しい見立てで印象に残ります。
  
  次の頸聯は同じく雪の明るさと白さとを故事を引いて歌います。
  孫氏とは晋の孫康(そんこう)。『蒙求』に「孫康映雪」と題する逸話があります。貧しくて燈火の油も購えないことのある孫康は窓辺の雪明かりで読書に励んで科挙に及第し、栄進を果たしたという「蛍雪の功」の「窓の雪」の方の話です。
  次の句の孟嘗は後漢の人。合浦の長官だった時、海に産出する真珠が次第に失われてゆくのを知り、善政によってもとのように珠を戻したという逸話がやはり『蒙求』に「孟嘗還珠」として載っています。

  漢詩の決まりごととしてこの頷聯と頸聯の二つの聯は対句に作ることになっています。雪を詠む詩は多く、雪の風景や趣はさまざまに意匠を凝らして詠まれてまいりました。この詩ではむしろ単純に、雪の輝くばかりの明るさと白さとを言うだけで二つの対句を費やし、同じ主張を畳みかけて、一種拙朴にさえ見える平明さで歳末の侘びしい心を慰める雪の趣を述べています。

      
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  十分に雪の美しさを謳ったあと、詩では「こうして雪を愛でて詠むことはどうして不満に思おうか、いや思いはしない。しかし、我が髪に増えてゆく雪の白髪は恨めしい」と結びます。雪を美しく詠んで、そこから反転して白髪を雪になぞらえ我が身に積もる老いを嘆くのは、中国の詩にも多く、我が国の漢詩にも踏襲されて類型になった詠み方です。

  ことに年末のこと、誰しもしみじみ時の流れに思いを致し、時とともに老いてゆく人の身を、辛くともそういうものとして改めて思い知る折になるのでしょう。大晦日を昔は年取りの晩と呼んでいたのでした。

      
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