2012年1月27日

第48回 應買梅花笑:天の贈り物


第48回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち



      
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       雜雨隨風勢欲摧
       忽跳屋瓦點階苔
       天公應買梅花笑
       先擲明珠百斛來

     雨に雑(まじ)り風に随(したが)ひて
                      勢(せい)摧(くだ)けんと欲し
     忽(たちま)ち屋瓦(おくが)に跳(と)び階苔(かいたい)に点ず
     天公(てんこう)応(まさ)に梅花(ばいか)の笑ひを買ふべく
     先(ま)づ明珠(めいしゅ)
              百斛(ひゃっこく)を擲(なげう)ち来(きた)る


     ※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
       歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
     
      屋瓦:屋根瓦。
      階苔:きざはし(建物に上がる)の苔。
      天公:天上の主。天帝。
      買笑:佳人の嬉笑を得ること。
      百斛:「斛」は量の単位で「石」に同じ。十斗。

    
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  詩は江戸後期の横山致堂(1788〜1836)の七言絶句「霰(あられ)」です。

    雨にまじり風に従って、なにもかもを摧(くだ)きそうな勢い。
    屋根瓦にはじけ跳び、沓脱ぎの階(きざはし)の苔にぽつぽつと
    小さな跡をつける。

  始めの二句は霰の降る勢いと動きを追って、生き生きと写実的に詠みます。

  「天公」は漢文では天子また天帝といった意味ですが、我が国にはこれにぴったり合う観念がありません。江戸の人 横山致堂の詠むこの詩においては「天の神様」というほどの存在であると理解するのが適当でしょう。

    
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    天の神様は梅の花を喜ばせようとしたのだろう、いち早く明珠
   (輝き光る宝玉)を百斛(こく)も地上に投げ寄せてきたのだ。

  「買梅花笑」、直訳すれば「梅の花の笑いを買う」となりますが、この笑いは梅の花が喜んでにっこりする、その笑みです。

  「買笑」という熟語には、佳人の嬉笑を得ることという意味があります。梁の武帝と寵姫麗娟とが花園を散策中、帝が薔薇を「佳人が笑っているように美しい」と言ったところを発端とする故事を基にして、薔薇を「買笑花」と呼ぶことがあり、「買笑」は薔薇の異名に用います。ここではその故事を踏まえた上で梅に置き換えて詠んでいると思われます。

  梅の花をにっこりさせるために違いない、と作者が思い廻らす天からの「明珠百斛」が、夥(おびただ)しい量の霰を意味していることは言うまでもありません。「斛(こく)」は分量の単位で「石(こく)」に同じ。十斗が一石、一斗がおよそ18リットルですから、「百斛」はすでに実分量ではなく計算外の膨大さを言っています。「擲(なげう)ち来たる」という表現が、いかにも強い霰の勢いを表しています。

    
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  霰は勢いよく音を立てて降ることで、冬の気象の中でも雪より激しい印象があります。平安時代以降は、文学的には冬の荒れた天候をただ言うほかに、不穏な空気や荒涼とした寂しい冬景色を強調する場面によく用いられました。

  しかし、勢いがあり、音があることは、場合によっては、ひたすら静かな雪にはない陽性な感じを伴うこともあります。アラレフルの形で枕詞になりますが、その場合も音を立てて降るところから「囂(かしま)し」を連想し、同音の地名「鹿島(かしま)」を導きます。賑やかな印象が枕詞になったのです。

  この詩においても、天帝が勢いよく「ええい」と投げてきた百石もの宝玉、というのは、実際は寒さの厳しい時期の荒天のさまではあるのでしょうが、どこか洒脱に明るい感じが致します。

    
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  早い梅が咲き出す頃、冬の厳しい天候はまだありがちです。咲いた花に冷たい雪や霰が降りかかるのはいかにも気の毒ですから、早く咲き出したことを梅が後悔しているだろうと詠む漢詩もあります。この詩は同じような場面を捉えながら、霰をむしろ天が梅花の歓心を買おうと降らせて来た貢ぎ物であるかにも詠んで、早梅の風景を誇らかな豊かなものに形造っています。

    
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  作者横山致堂(1788〜1836)、名は政孝(まさたか)、字は誼夫、通称蔵人、また小五郎、多聞。加賀金沢藩重臣の家柄に生まれ、27歳で家老になり、世子前田斉泰の傳役を務めるなど、藩政の中枢にあって重責を担いました。書や絵画にも優れた文人です。また、正室 桂(金沢藩家老津田政本女 横山蘭蝶)も同じ素養を楽しんだ人でした。生涯に二百首あまりの漢詩を残しています。二十一歳の若さで産褥に亡くなったのは文化12年(1815)、政孝が家老職に就く前年です。その年のうちに、政孝は遺作の中から百首を選び、自分の詩百首を合わせた二百首を『海棠園合集』として編みました。そういう夫婦であったのでしょう。

    
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