第30回 一天過雨:新秋を洗う雨
第30回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
23.9.2 東京都清瀬市
一天過雨洗新秋
攜友同登江上樓
欲寫仲宣千古恨
斷烟疏樹不堪愁
一天の過雨(かう) 新秋を洗ふ
友を携(たづさ)へ同(とも)に登る江上(かうじやう)の楼
仲宣(ちゅうせん)が千古(せんこ)の恨(うらみ)を写さんと欲するも
断烟(だんえん)疏樹(そじゅ)愁(うれひ)に堪へず
23.8.25 東京都清瀬市
詩は南北朝時代から室町前期にかけて朝廷・将軍家をはじめとして多くの要人の帰依を集めた臨済僧絶海中津(ぜっかいちゅうしん 1334〜1405)の七言絶句「雨後登樓(雨後楼に登る)」です。
「一天」とは空全部のこと。この雨は「過雨」、通り雨ですから空はもうすっかり明るいのでしょう。雨に洗い出された新秋、清浄な雨上がりのひとときです。
23.8.28 東京都清瀬市
作者は友人と連れだって川のほとり(江上)の高い建物に登りました。見晴らしのよい場所から景色を見るうちに古い詩文を思い起こしたのでしょう。詩にある仲宣(ちゅうせん)とは後漢末の魏の学者 王粲(おうさん)の字(あざな)です。文筆に秀で、筆を執ればそのまま優れた文章になり、直すことを要さなかったと言います。
その「千古の恨」とは、王粲の不遇の時の胸中を指します。
王粲は争乱を避けて長安の都を離れ、荊州に逃れましたがそこで重用されることはありませんでした。才能を自負していた王粲、用いられることなく朽ちてゆくという焦燥に駆られます。心を晴らそうと高楼に登りますが心は慰まず、その美しい眺望が「信(まこと)に美なりと雖(いえど)も吾が土に非(あら)ず」と、むしろ流離の思いを深めることになり、望郷の念を募らせた、というのが彼の代表作になる「登楼賦」です。悲愴感の濃い作品です。
絶海中津は、はるか昔王粲が高楼から見わたす景色に郷愁を歌ったように、自分もそうしてみようとしますが、靄(もや 断烟)のかかった景色、まばらな木々(疏樹)を眺めて寂しさがつのるばかりだ、というのです。
23.8.16 東京都清瀬市
臨済宗の僧侶であった絶海中津は1368年から1378年までの間、明(みん)に留学しました。この詩は、王粲を引いてその故事に倣おうという内容から、作者が明に滞在した時期に故国を懐かしんで詠まれたものであるとするのが定説のようです。とすれば、この雨上がりの景色は中国のものということになるでしょう。
しかし詩に引いた王粲の背景とは裏腹に、明に滞在した頃の絶海中津は嗟嘆とは無縁の境遇でした。日本の文人としてすでに名声があり、多くの高僧と交わり、明の開祖である洪武帝(朱元璋)にも謁見を許されていました。
王粲の嘆きとはおよそ重ならない心境にあっても、望郷の思いだけは千年を隔てても変わらないということなのでしょうか。
23.8.10 東京都清瀬市