2011年1月14日

第3回 弁山水対策:平安時代の答案

第3回【目次】         
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    * 漢文
    * みやとひたち






      
11狭山湖富士.jpg                               狭山湖より富士を臨む 23.1.11 東京都清瀬市



   山復山 何工削成青巌之形
   水復水 誰家染出碧澗之色
                     『和漢朗詠集』506

    山復(ま)た山。何(いづ)れの工(たくみ)か青巌(せいがん)の
    形を削(けづ)り成(な)せる。
    水復(ま)た水。誰(た)れが家にか碧澗(へきかん)の色(いろ)を
    染め出(い)だせる。

    山々が重なり連なって、青々と岩の嶺がそびえている。あの山の姿は
    どのような名工が削って造りだしたのだろう。
    深く湛えられた水が、碧に澄んだ淵をなしている。この色はどのような
    優れた染色家が染め出したのだろう。

      
11群鴨.jpg                                      23.1.11 埼玉県所沢市狭山湖

  山紫水明の風景を述べる対句は、『本朝文粋』(巻三)に収録されている大江澄明(おおえのすみあきら)作「弁山水対策(山水を弁ずる対策)」の一節です。

  ここに述べる美しい山の色と姿、深い水の色は『遊仙窟』にある「見上ぐれば青壁(あをきいはほ)万尋(ばんじん)なるあり。見下ろせば碧潭(あをきふち)千仞(せんじん)なるあり」の発想を受けたものと伺われます。『和漢朗詠集』はこれを佳句として「山水」部に採りました(文例にこれを含む一続きを挙げましたので御覧下さい)。

  この「対策」とは、およそ試験の答案と言ってよいでしょう。

      
8オシドリ2.jpg                                オシドリ 23.1.8 東京都清瀬市金山調節池

  科挙制度の前段階、院試に合格した者を秀才と呼びました。中国の唐代、秀才を選ぶにあたり、「策問(さくもん)」と言って皇帝が時事や歴史・政治知識を出題し、受験者がこれに答えて奉る文章を「対策文(たいさくぶん)」と言いました。人材選抜の方法として学問の試験を課すというこの科挙の制度はアジア全般に及び、諸国にその影響が残っています。わが国でも平安時代初期、紀伝道(きでんどう:通称「文章道」)が盛んになると、文章博士(もんじょうはかせ:大学寮の教員)が問策し(「策問」を出して質し)文章得業生(もんじょうとくごうしょう)に答えさせるという試験が行われるようになりました。その回答が「対策文」であり、「対策」はこの試験の通称にもなりました。この試験はほかに「献策」「方略試」「秀才試」「文章得業生試」などとも呼ばれています。

     
9スズメの木.jpg                                          23.1.9 東京都清瀬市

  『日本紀略』村上天皇の天暦三年(949)十一月二十日の条に次のような記事があります。

  「文章得業生大江澄明、方略の試(し)を奉りて、題に云はく、史官に明るくして、山水を弁(わきま)ふ」

  今回御紹介した一節を含む「弁山水対策(山水を弁ずる対策)」はこの時のものと考えられます。この一文は橘直幹(たちばなのただもと)の問策に対して大江澄明が答えたものです。

      
ひた漢籍.jpg

  大江澄明は曾祖父が大江音人(おとんど)、祖父玉淵(たまぶち)、父朝綱と代々続く漢学の家に生まれ、その道を継承して行ける人でしたが事跡が多くは残りません。官が民部少輔に至って間もなく、父に先立って鬼籍に入りました。

      
12寒梅白.jpg                                          23.1.12 東京都清瀬市

  官吏登用の試験「対策」の慣習は、本場中国における科挙のような厳格な制度にはならず、やがて室町時代で途絶します。しかし明治維新の後、官吏登用に制度として改めて課された試験は、やはり科挙の流れを引く学試でした。現在の国家公務員試験上級甲種の源流です。

      
8富士2.jpg                                          23.1.8 東京都清瀬市

 

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